■節子への挽歌3068:贅沢な境遇
節子
一昨日は、魔法使いによる遠隔ヒーリングをしてもらいました。
昨日はしぼりたての新鮮な牛乳を飲ませてもらいました。
そして今日は、思ってもいなかった人から林檎ジュースが届きました。
いろんな人が、心配してメールもくれます。
これほどの支えをもらいながら、一向に気力はもどりません。
困ったものです。
もっとも体調が悪いわけではなく、湯島にも出ていますし、それなりに動いています。
しかし、気が一向に戻らないのです。
どこに原因があるのでしょうか。
精神的な問題かもしれません。
すこし生き方につかれてしまったのかもしれません。
それに今週は、元気のないままに、強烈な本を読んでしまいました。
沖縄の人が書いた、日本人は沖縄を植民地にしているという指摘の本です。
まさにその通り、自らの無知と愚鈍さに気づかされました。
節子がいないので、一人で背負い込まねばいけません。
いささか気が重いです。
気が萎えているとどうなるか。
先に延ばせるものはすべて先に延ばしてしまうのです。
しないでもいいことは、しないままにしてしまうのです。
時評編は全くかけていません。
書きたいことはあるのですが、書く気が起きないのです。
書く資格すら疑わしい。
それでもなんとか困りもせずに生きていられるというのも、考えてみれば恵まれているのでしょう。
人はたくさんの人と支え合いながら生きている。
気が萎えてくると、それがよくわかります。
気にしてくれている人がいる、と思えるだけで、人は支えられます。
気にする人がいるだけで、人は支えられる。
まあ、もうしばらくは、この贅沢さを素直に受け入れていようと思います。
いつかそのお返しは、だれかにできるでしょうから。
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