■3・11報道には大きな違和感があります
東日本大震災から、今日は5年目です。
新聞もテレビも、3・11の特集ばかりです。
被害者や遺族の物語も多いのですが、そういう番組はどうも見る気がおきません。
誠実に描かれているのでしょうが、どうしてもそこに「作為」を感ずるようになってしまっています。
死を題材にしてほしくないという気持ちが強くなってきています。
それにしても最近のマスコミ報道は「死」を取り上げすぎではないかと思います。
子どもの自殺から高齢者の孤独死、あるいは悲惨な殺人事件や事故死。
テレビドラモも、死が安直に題材にされているような気がします。
あまりに安直としか言いようがありません。
「死」を題材に取り上げなくても、生死や人間をもっと語れるのではないかと思うのですが、死の刺激が求められているのでしょうか。
しかし、一度でも身近に死を体験した人であれば、そうは安直には扱えないはずです。
先日、この5年間、東北の被災地に住む人たちへの支援活動をしている人と話しました。
5年で被災地は変わってきましたかと質問したら、遠慮しがちに「変わっていないです」とつぶやきました。
復興が進んでいないという意味です。
無駄な復興事業は盛んに報道されますが、被災者にとっての復興は進んでいないのかもしれません。
復興を印象づけるような報道も多いですが、そうした番組も見たくはありません。
報道は、それが事実であったとしても、報道の仕方では全体を見えなくしてしまいます。
特に福島に関しては、復興などできるはずもありません。
政府に本気で復興する気があれば、原発再稼働などするはずもありません。
こんな思いを持ちながら、今日は3.11のことをいろいろと思いだしています。
重くて哀しい1日です。
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