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2016/03/07

■節子への挽歌3105:「忘れられないけど、忘れるんだよな」

節子
節子は、ワンダーアート・プロダクションの高橋さんに会ったことはないと思いますが、彼女は3.11の東日本大震災が起こるやいなや、アートで被災地の子どもたちを元気づけようと、ARTS for HOPEという活動を始めました。
それ以来の高橋さんの活動ぶりには、圧倒されるものがあります。
その根底にあるものに、少し感ずるものがあって、私自身は何も応援できませんが、ひそかにエールを送っています。

そのARTS for HOPEの「今、ここで生きている」展が上野駅の中央コンコースで開催されていました。
昨日は最終日だったのですが、やっと会場に行けました。
この展示会は、高橋さんたちの活動を広く知ってもらおうと、今年の1月13日に、南相馬から始まり、各地で開催、その最終地が上野だったのです。
最終日にやっと立ち寄れました。
まず目についたのが、パネルにあった言葉です。
「忘れられないけど、忘れるんだよな」
大船渡市で開催した時に、やってきた人の言葉だそうです。
いろんな意味を含意している言葉で、ドキッとしました。

忘れられないのに忘れる。
東日本大震災について言えば、正直、これは私の現実でもあります。
たぶん被災地は、5年前とあまり変わっていないのだろうなと思いながらも、身の回りからはそういうことが見えなくなってきているために、ついつい過去の出来事と思ってしまいがちなのです。
そして、大船渡市の人も、そう思っている。
当事者も、そうなのです。
しかし、その時の「忘れる」の意味は、当事者ではない私とはたぶん全く違うでしょう。
当事者は、忘れないと生きていけないのかもしれません。
記憶を正しく残したいために、忘れるのかもしれない。

比較にはまったくならないと思いながらも、私はつい、節子のことを思い出してしまいました。
文脈は状況と全く無関係に、「忘れる」という言葉は、私の心に引っ掛かる言葉になってしまっているのです。
なぜなら、死者にとっては、忘れられたら生きていけないからです。
そんなことを思いながら展示を見ていたら、スタッフの方が近づいてきました。
「高橋さんはいますか」と訊いたら、ちょうど、不在の時間帯でした。
そうしたらその方が、「佐藤さんですか?」と逆に訊いてきたのです。
前に一度、高橋さんと一緒に会ったことがあるのだそうです。
大変失礼ながら、私は失念していました。
一度でも会ったら、できるだけ忘れないようにしようと心がけていますが、どうも最近は脳機能が落ちているようです。
彼女と別れて、歩いていたら、突然にその時のこと、つまり前に会った時のことを思い出しました。
たしか5年前に、湯島のサロンで話題提供してもらった時に、高橋さんと一緒に来てくださったのです。
一度覚えたことや体験したことは、必ずどこかに残っているようです。
ただ思い出せないだけなのです。
忘れたようで忘れていない。
そのことを忘れないようにしたいと思います。


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