■節子への挽歌3108:物語はハッピーエンドでなければいけない
節子
久しぶりに映画「グラディエーター」を観てしまいました。
パソコンである報告書をまとめていたのですが、疲れたので気休めにと思い、手元にあったDVDのなかから選んだのが「グラディエーター」でした。
私のDVD映画の観方は、観たいシーンを繰り返し観るという方法なのです。
もちろん初めて観る映画は最初からきちんと観ますが。
「グラディエーター」は、私の好みではないので(題材は私の好みです)、2回目なのですが、ローマ帝国の崩壊が始まったコモドゥス皇帝の時代の物語です。
史実とはかなり違いますが、同じ題材を扱った「ローマ帝国の滅亡」(こちらの方が私の好みでした)とも違い、ハッピーエンドではありません。
だから私の好みではないのです。
私は、ハッピーエンドが好きなのです。
物語は、ハッピーエンドでなければいけないと思っているからです。
ところが、今回、この映画を観て、これはハッピーエンドの物語ではないかと気づいたのです。
主人公のマクシムスもコモドゥスも、です。
そしてローマ帝国も。
映画の内容を説明していないので、観ていない人にはわからないと思いますが、映画の最後は、剣闘士になったローマ将軍マクシムスと皇帝コモドゥスが円形闘技場コロッセウムで決闘し、結果的には2人とも死んでしまいます。
にもかかわらず、なぜハッピーエンドなのか。
皇帝コモドゥスは、賢帝と言われた父親のマルクス・アウレリウスを殺害し(映画のなかの話です)、父親が帝位を譲ろうとしていたマクシムスの家族を殺害します。
マクシムスは殺害を逃れ、剣闘士としてコロッセウムに登場、ローマ市民の熱狂的な拍手喝さいのなかで英雄になっていきます。
そのため、皇帝コモドゥスはマクシムスを殺すことはできなくなります。
唯一の解決策は、マクシムスとの決闘で勝利することで、ローマ市民の拍手喝さいを自らに引き取ることだけです。
結果はマクシムスに殺され、マクシムスもその傷で死んでしまいます。
しかし、皇帝コモドゥスは栄誉ある死を実現し、おそらく最後は幸せだったでしょう。
マクシムスはどうか。
彼は帝位を望んではいませんでした。
戦いが終われば、故郷に戻り、家族と暮らしたかった。
それが彼が望んだ幸せでした。
「ローマ人の物語」を書いた塩野七生さんは、このことだけで、マクシムスは皇帝には向いていないと断定しますが、そうかもしれません。
映画「グラディエーター」のラストシーンは、冥界に向かうマクシムスを迎える妻と息子の出会うシーンです。
間違いなくマクシムスは、幸せを得たのです。
皇帝になることは、決して彼を幸せにはしないでしょう。
この映画は、ハッピーエンドの物語だったのです。
物語はすべてハッピーエンド。
人生もまた、すべてハッピーエンドなのだろうなと、思います。
問題は、その「幸せ」に気づくかどうか、です。
| 固定リンク
「妻への挽歌16」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌3200:苦があるから楽があり、楽があるから苦がある。(2016.06.07)
- ■節子への挽歌3199:付き合っていて煩わしくないのが伴侶(2016.06.06)
- ■節子への挽歌3198:他者の夢に寄生した生き方(2016.06.04)
- ■節子への挽歌3197:お布施人生(2016.06.03)
コメント