■節子への挽歌3099:チューリップのがんばり
節子
5日ぶりに湯島に来ました。
なんと机の上のチューリップが、まだ元気に花を咲かせていました。
ところが、水を替えようと思って、花瓶を持ち上げた途端に、ぱらぱらと半分の花びらが散ってしまいました。
私が来るのを待っていてくれたような気がしました。
その健気ながんばりに、うれしくなりました。
それで、いささか寒いのですが、部屋を暖めると残りの花が散ってしまいそうなので、エアコンを入れずに、コートを着たまま、パソコンを始めました。
幸いに今日は、夕方まで来客はないのです。
一昨日、時評編に「認知症徘徊の列車事故訴訟、家族の賠償責任を否定」というのを書きました。
同じものをフェイスブックにも書きました。
いずれも反響がいろいろとありました。
それを読んでいると、現代の社会の実相が伝わってきます。
最近の人たちは、みんな誰かのせいにしたがっているのは、いささか気になりますが、でも普通の人たちは、みんなチューリップのようにがんばっているのです。
今回、被害に会った認知症の人の家族も、頑張っているのが伝わってきます。
無理やりチューリップにつなげてしまった感がありますが、ふとそう思ったのです。
でも過剰にがんばってはいけません。
過剰にがんばらせてもいけないのです。
私のためにではなく、散るときには散るのがいい。
あんまり意味のないことですが、チューリップにそう伝えました。
でも、それを聞いても、残ったチューリップは散りません。
今夜の来客のためにがんばっているのです。
私よりは、ずっと根性があります。
見習わなくてはいけません。
ところで、ブログの記事の話です。
ブログやフェイスブックでは、時にかなり激烈なお叱りを受けることもありますが、今回は大方、好意的なコメントやメールが多かったです。
しばらくぶりですと言って、北九州市の上野さんまでメールしてきてくれました。
実にうれしい話です。
みんな、がんばっている人のことはわかるのでしょう。
エールを送りたがっているのです。
にもかかわらず、社会はどんどん劣化してきているような気がします。
しかし、そうであろうとも、このチューリップのように、がんばらないと、ますます社会は劣化してしまうでしょう。
いささか疲れて、いまにも散りそうな3本のチューリップを見ていて、少し反省しました。
それにしても寒いです。
実は、時々やってしまうのですが、今日もちょっと薄着のまま出てきてしまったのです。
チューリップには悪いのですが、エアコンを入れたくなりました。
手もかじかむほど冷たいです。
しかし、彼らには極力、あったかい風が当たらないようにしようと思います。
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