■節子への挽歌3128:春はどこかものがなしい
節子
春が本格的に始まりだした感じです。
最近はほぼ毎日、湯島に来ていますが、日に日に春を感じます。
今年もミニシクラメンが咲いています。
まったくと言っていいほど手入れはしていないのですが、昨年から咲き出すようになりました。
テーブルの上の水槽のメダカはまた絶滅してしまいました。
とても不思議なのですが、これまでもなぜかわが家の水槽のメダカとほぼ同じ時期に絶滅するのです。
共通点は水草と同棲している芝エビです。
いずれも芝エビはいたって元気です。
もしかしたら水草のせいかもしれません。
水草が多くなるとメダカが死んでしまうのです。
芝エビだけにするか、メダカをもう一度飼うか迷うところです。
ベランダに出しておいたランタナは冬を越しました。
たぶん枝を切るほうがいいのでしょうが、まだ花は咲こうとはしていません。
しかしこの調子だと今年も咲いてくれるでしょう。
節子がいなくなってからは、玄関の花は造花になりましたので、オフィスの生き物はわずかな草花と観葉植物と水槽の生き物だけです。
以前は、ゴキブリやベランダに来るハトがいましたが、なぜか最近はゴキブリも出会ったことがありません。
一人でいると、湯島のオフィスは本当に静かです。
そして、わずかな生き物と一緒に、ぼんやりと空を見ているだけでも、心和みます。
しかし、このオフィスにはこれまで本当にさまざまな人たちが来てくれました。
そうした思い出がずっしりと詰まっていますから、ここで一人でぼんやりしていても、いろんな思い出が去来します。
もう彼岸に旅立った人も少なくありません。
節子はそちらで会っているのでしょうか。
湯島のオフィスを開いてから、実にいろんなことがありました。
それも節子のおかげだと言っていいでしょう。
そろそろ来客がありそうです。
感傷から抜け出さなければいけません。
春は、どこか物悲しいところがあります。
そう思うのは、私だけでしょうか。
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