■認知症徘徊の列車事故訴訟、家族の賠償責任を否定
認知症で徘徊中の男性が列車にはねられ死亡した事故に関して、JR東海が遺族に損害賠償を求めた訴訟の最高裁判決が出ました。
家族への損害賠償は認められないという判決です。
まだ詳しい判決理由は報道されていませんが、素直に考えたら、当然なことだと私は思いますので、ホッとしました。
この裁判は、これからの日本を考えていく上で、とても大きな意味をもっているように思えて、ずっと気になっていましたので、今日の3時はテレビの前で過ごしました。
この裁判は、単に認知症介護の問題だけではなく、社会のあり方を考える上で、とても深い意味をもっています。
この事件を最初知った時、どこか問題の立て方がおかしいような気がしました。
遺族がJR東海に損害賠償を求めたのではないかと最初は思ったのですが、訴訟の流れは逆だったからです。
そこに大きな違和感を持ちました。
もしこれが、自動車事故であればどうだったか。
あるいは柵のない湖沼への転落事故だったらどうだったか、そう考えたのです。
しかし、裁判は、認知症家族の監督義務を問うているのです。
危険なシステムを運営管理している鉄道会社の安全対策義務が問われたのではないのです。
どこかに倒錯した発想を感じます。
いまの社会のおかしさを象徴している事例の一つではないかと思います。
この事件はまた、家族や地域社会のあり方を顕在化しています。
認知症介護に限りませんが、介護問題を家族だけに押し付ける文化は、日本においては、この百年ほどの文化ではないかと思います。
それ以前は、親族や地域社会や仲間たちが、支え合いながら解決する文化があったように思います。
そういう「人のつながり」が、社会だったのです。
高裁の判決は、伴侶に監督義務を求めていました。
義務はあるかもしれませんが、しかしだからと言って、近隣の人たちが言うように、苦労して介護していた伴侶に損害賠償を求めるというのは、人情に反するような気がします。
しかも、報道によれば、かなり誠実に対応していた家族たちです。
伴侶や親に死なれ、さらにそれを責められる家族の心情はどんなものだったでしょうか。
そこへの思いをいたさなければ、人の判断とは言えません。
司法の判断は法によらねばいけませんが、法は条文だけではないのです。
そんな複雑な思いを持っていましたので、この判決を知ってホッとしました。
今日はこれが気になって、出かけられずにいました。
今回の判決は、私にとってはそれほど大きな意味をもっていました。
やっと出かけられます。
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