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2016/03/17

■節子への挽歌3119:5つの物語

節子
今日はまたいろんな人が来ました。
人に会えば、いろんな世界が広がります。

そのおひとりは、某大企業の経営幹部の方です。
いまは単身赴任で、東京でお一人住まいですが、家族は奈良で、休日は奈良に帰り、奈良を楽しんでいるようです。
もともと東京のお生まれのようですが、奈良が好きで奈良に転居したのだそうです。
それも私が大好きだった佐保路に終着点の西大寺の近くだそうで、うらやましいです。
ところで、その人は東京の単身赴任の家で、毎朝、般若心経を唱えることから1日を始めているそうです。
一人住まいの東京の家には、大日如来をお祀りしているそうです。
ご両親も健在なのだそうですが、大日如来に向かって般若心経を上げると、心が落ち着くのだそうです。
そこから話が弾んでしまいました。

その前には、外資系の会社で長年クリエイティブな仕事をしていた50歳の女性が来ました。
都心のど真ん中に住んでいて、時代の先端を生きてきているようです。
仕事も面白ければ、収入も恵まれ、毎年、3週間の連続休暇を使った海外旅行を楽しまれてきていたそうです。
物欲が強いので、この生活レベルは落とせないと言いながらも、新しい生き方を模索しているようです。
その恵まれた生活を捨てて、次の人生設計に取り組まれているのです。
だから私のとこに雑談に来たわけですが。
私とは正反対の生き方ですが、なぜかつながるところがありました。

その2人の間に、もう一人、昨年事業に失敗して自己破産してしまった人が来ました。
自己破産の処置も一段落し、もう一度、チャレンジするという相談です。
彼のことは、またいつか書ける時が来るかもしれませんが、彼の経営していた企業の倒産には私も巻き込まれてしまって、私自身甚大なダメッジを受けました。
私の人生もかなりの影響を受けたのですが、いまも付き合っています。
彼を信じたいと思うからです。
そして今でも私のところに時々来ています。
新しい事業のきっかけが見つかりそうです。

そして最後は、この1年、ある事件に巻き込まれ、起訴されそうになっていた人が、彼の友人と一緒にやってきました。
不起訴になった報告です。
彼が起訴されるはずはないと私は思っていましたが、やはりいささかの心配はありました。
私は基本的にいまの司法を信じていないからです。
でも起訴されずに、本当によかったです。
まだしかし、いろんな思いが去来しているようで、いまも夜眠れないと言います。
それもまあ、人生だからと憎まれ口をたたきながら、心からよかったと思いました。

とまあ、今日はこんな感じの1日でした。
人には、それぞれ物語があります。
他者の物語を生きることはできませんし、他者の物語と付き合うのはとても疲れます。
でも、どこかでささやかな接点ができると、私自身の物語も豊かになります。
こういう生き方をしようとは、思ってもいませんでしたが、これもまた私に与えられた生き方なのでしょう。
他者の悲しみが自らの悲しみになり、他者の喜びが自らの喜びになる。
そういう生き方をしていて、最近つくづく思うのは、人生とは喜びよりも悲しみの多いことです。
ですから、悲しみもまた喜びにしていかないと、生きるのが嫌になりかねません。
悲しみのなかにも喜びがある。
最近少しだけ、そういうことがわかってきました。

今日は5つの良い顔に出会えて、疲れましたが元気をもらいました。

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