« ■節子への挽歌3127:最後の四半世紀に移ろうと思います | トップページ | ■緊急カフェサロン「責任者はだれなのか?」の報告 »

2016/03/25

■自爆(自死)までして伝えていることに私たちは耳を傾けているだろうか

またベルギーでISによる連続テロが発生しました。
ISによるテロは沈静するどころか、ますます広がっているようにも感じます。
テロをなくすのは難しいと言う人もいます。
果たしてそうでしょうか。
私たちは対応を間違っているだけなのではないでしょうか。

いまから30年近く前の1989年、ある雑誌に「対話の時代」と題する連載を書いたことがあります。
http://homepage2.nifty.com/CWS/taiwa.htm
1989年は、いまから考えると時代の大きな変わり目の年だったと思いますが、その頃、私がイメージしていた21世紀は、「真心の時代」「対話の時代」「生活の時代」でした。
25年間、勤めさせてもらった会社を辞めて、私も生き方を変えました。
しかし、残念ながら私の予想は全く外れてしまい、時代は逆の方向に進んでいるような気がします。
そして、言葉だけは盛んに耳にするようになりました。
真心、対話、生活…。
しかし、言葉が語られれば語られるほど、そうしたものは消えていっているように思います。

ISのテロの報道を見ながらいつも思うのは、自爆までして伝えていることに私たちは耳を傾けているだろうか、ということです。
ISの暴力性や非人間性を示唆する映像や報道記事は多いですが、戦争とはもともと非人間的な暴力行為です。
ISが、際立っているわけではないでしょう。
私たちは、攻撃される側としてISを見ていますから、そう感じますが、IS側からは世界はどう見えるのでしょうか。
自らを犠牲にしてまで訴えているメッセージに、私たちはもう少し耳を傾けてもいいような気がします。
そういう報道は、今やほとんどありません。
対話していないのは、IS側ではなくて、私たちではないかと言う気もしてしまいます。
もし対話できるのであれば、自爆せずに対話してくるのではないか。
対話の拒否が、自爆テロに追いやっているのではないか。
せめて、ISを否定するのではなく、彼らに耳を傾け、現実を共有していかなければ、それこそテロはなくならないでしょう。
しかし、逆に、真心を込めた対話で、お互いの生活を理解しあえれば、テロはなくなっていくのではないか、と思います。

なぜ「対話」がめざされないのか。
もし、対話が成り立つと困る人がいるとしたら、どうでしょうか。
そこから考えていくと、現在の世界の構造が見えてくるような気がします。

ちなみに、これはISのテロに限った話ではありません。
身近な話で言えば、最近よく報道されている「子どもの自殺」の問題もそうです。
私たちは、子どもたちの切実な訴えに耳を傾けているのか。
両親から虐待を受けて保護を求めていた男子中学生が、相談者にも聞いてもらえず自殺したという報道が、現代社会の実相を象徴しているような気がします。
彼らは、保育園をつくれと国会デモも起こせません。
保育者の言葉に耳を傾ける以上に、子どもたちに耳を傾けることが、大切だと思いますが、現在はそれが逆転しています。

自らの生命を投げ出してまで、社会に訴えたい人のメッセージ、私たちはしっかりと受け止めたいと思います。
彼らは言葉でのメッセージさえ、できないのですから。
他人事ではなく、私自身として、それをどう考えるかが大切です。
明日は、そんなテーマで緊急カフェサロンを湯島で開催します。
1時半からです。

|

« ■節子への挽歌3127:最後の四半世紀に移ろうと思います | トップページ | ■緊急カフェサロン「責任者はだれなのか?」の報告 »

平和時評」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30899/63394926

この記事へのトラックバック一覧です: ■自爆(自死)までして伝えていることに私たちは耳を傾けているだろうか:

« ■節子への挽歌3127:最後の四半世紀に移ろうと思います | トップページ | ■緊急カフェサロン「責任者はだれなのか?」の報告 »