■緊急カフェサロン「責任者はだれなのか?」の報告
広島の中3生徒の自殺という痛ましい事件を題材に、社会のあり方や私たちの生き方を問い直す緊急カフェサロン「責任者はだれなのか? -子どもたちの育ちの場を事例にして」は、14人の参加で、4時間の過去最長のサロンになりました。
20代から70代、男女比もほぼ半分という、にぎやかな構成でした。
最初に、問題提起者の吉田裕美子さん(NPO法人教育のためのTOC日本支部理事)から、ご自身が体験した、学級崩壊のクラスを生徒たちが中心になって解決した話があり、つづいて、広島の事件がなぜ起こってしまったかについて、「先生」「生徒」「親」という3つのアクターごとに参加者が問題点を出し合いながら話すというスタイルで話し合いが行われました。
いろいろな意見が出てきて、話が途切れず、気がついたら4時間の長いサロンになりました。
吉田さんの予定では、それに続き、他にも責任者はいるのではないか、そしてこうした事件の背景にある私たちの生き方や社会のあり方はどうなのか、という展開になるようでしたが、話し合いが盛り上がりすぎて、そこまで行けませんでした。
しかし、その途中で、「責任」とは何かが問題になりました。
「責任」という言葉をどう捉えるかということ自身が、もしかしたら、今回のテーマの答えなのかもしれないと思いました。
責任という言葉に代わる言葉を見つけるべきではないか、あるいは「責任」という言葉の意味転回をする必要があるのではないかという話にまでなりました。
言葉は、本質につながっています。
吉田さんは、後半の話し合いのポイントを話しながらまとめてくださいました。
これに関しては、もしご関心がある人がいたら、ご連絡ください。
吉田さんの了解を得られれば、提供させてもらいます。
話し合いの内容は、まとめようもないので諦めますが、吉田さんからのメッセージの一つは、「話し合いが不足している社会」のなかで、どうしたらもっとみんな話し合いができるだろうかということだろうと思います。
前半の学級崩壊を立ち直らせた事例で、吉田さんは子どもたちから得た気づきを話してくれました。
子どもたちは話を聞いてほしいと思っている。
子どもたち同志も、もっと話したいと思っている。
でも校内では、なぜか素直に話し合えない。
そして、子どもたちが話し合いをした結果、子どもたちは次の気づきを得たようです。
みんなで話し合えば大丈夫だ。
親切とは仲良くすること(話し合えることと言ってもいいと私は思いました)。
実に示唆に富んでいます。
私たち大人も、もっと子どもたちから学ばないといけません。
先生たちにも、教えるということは学ぶことだと気づいてほしいと思いました。
4時間のサロンでしたが、これを踏まえて、4番目のアクターである「自分自身」に焦点を置いてのパート2を開催したい気分です。
もし3人以上の賛成者がいたら、企画したいと思います。
広島の事件に関して言えば、先生も親も、おそらく人生を大きく変えてしまうことになったでしょう。
しかし、私自身もいつそうしたことの当事者になるかもしれません。
いやすでにもう「当事者」になっているかもしれません。
私には、改めて自らの生き方を問い質すサロンになりました。
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