■節子への挽歌3124:学びの時
節子
この3月に定年退社する原さんが湯島に立ち寄ってくれました。
いろいろとお世話になった人です。
大阪から東京に出てきたご多用の合間をぬって、会いに来てくれたのです。
それだけで感謝しなければいけません。
会社を辞めて何をされるかお訊きしました。
大学に通う計画があるようです。
テーマは、なんとイスラムの歴史を学びたいのだそうです。
スペインのアルハンブラ宮殿に魅せられたのが契機のようです。
思ってもいなかった話です。
若いころは就職を前提に、大学では経済を学んだそうですが、今度は自分が学びたいことを学びたいというのです。
お聞きすると奥さんはすでに大学で美術を学んでいるのだそうです。
お子様がいらっしゃらないということもあって、これからは夫婦そろって大学生になるわけです。
素敵なお話です。
大阪にお住まいなのですが、いつかまた湯島でイスラムの歴史のサロンを開いてくださいとお願いしました。
手段としての学びではない学びは、人を元気にさせます。
私が最近元気なのは、もしかしたら、そのせいかもしれません。
大学には行ってはいませんが、いろんな意味で、私もいまは、「学びの時」です。
学んだからといって、何かの役に立つわけではありませんが、私の世界は間違いなく豊かになります。
思うがままに、それなりに「学び」を楽しんでいます。
節子も学びが好きな人でした。
私とは分野もスタイルも、まったく違いますが、好奇心は強かったのです。
私の話もよく聞いてくれました。
話を聞いてくれる人がいると、学び甲斐は大きくなります。
いまはせっかく学んでも、誰も私の話を聞いてくれる人はいません。
しかし、それでも学ぶことは楽しい。
なぜならば、学ぶということは、自分の知らないことの多さに気づくことだからです。
学べば学ぶほど、知らない世界が大きくなってくる、つまり「無知」に気づくのです。
ですから「学びの世界」は際限がない。
学びの時もまた、終わりがないのです。
1年後にまた、原さんにお会いするのが楽しみです。
いつか奥様にもお会いした気がします。
美術とイスラム、きっとどこかでつながるでしょう。
うらやましい話です。
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