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2016/03/09

■節子への挽歌3109:ハッピーではない物語

節子
今日は冷たい雨の1日でした。
その雨の中を歩いていて、ふと昨日書いた挽歌の「物語はすべてハッピーエンド」という言葉が頭に浮かびました。
昨日は、自らを鼓舞する意味もあって、そう言い切ったところもあるのですが、アンハッピーな人生もあるのかもしれないと思ったのです。
冷たい雨と寒さのせいかもしれません。

そして、ある物語を思い出しました。
どう考えても「ハッピーではない物語」です。
それは、いまテレビでもドラマ化されて放映されている「わたしを離さないで」です。
カズオ イシグロの小説が原作です。
この小説に関しては、以前書きました。
またブログでも、その話も題材のひとつにした、「オメラスとヘイルシャムの話」というシリーズ記事があります。
ホームページにまとめて収録していますので、関心のある方はお読みください。
http://homepage2.nifty.com/CWS/heilsham.htm

あの話は、どう考えてもハッピーとは言えません。
いま、放映中のテレビドラマは最初の3回はなんとか我慢して観ましたが、その後はとても観る気になれません。
あまりにもアンハッピーで、心が萎えるからです。
小説は、それほどではありません。
でもテレビはあまりに残酷すぎます。
未練がましく録画はしていますが、私の心身では、受け止められない恐れがあるので、観る気にはなれません。

なぜアンハッピーなのか。
雨の中を帰る途中、ずっと考えて、理由がわかりました。
そこに「いのち」がないからです。
しかし、残念ながら、その意味をうまく説明できません。
「いのち」ってなんなのか。
また一つ難問を背負い込んでしまいました。
ヘイルシャムの子どもたちは、生きてはいないのです。
だから、とても哀しい。
恐ろしいほどに哀しい。
だから読者をハッピーにしないのです。
読者をハッピーにしなければ、登場人物もまた、ハッピーではないでしょう。

アンハッピーな物語もあるようです。
しかし、アンハッピーの物語の上に、もし私が生きているとしたら、私もまたアンハッピーのはずです。
とすれば、すべての人生はアンハッピーということになりかねません。
寒さのせいで、どうも思いが暗くなってしまいます。
昨日とは、まったく違う結論になってしまいました。
困ったものです。

カミユを読み直したくなりました。

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