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2016/03/20

■節子への挽歌3122:病魔に取り巻かれながら病縁のない奇妙さ

節子
また病気の報せです。
今度は脳梗塞です。
私よりも少し若いはずの友人からの知らせです。
毎日のように悲報が続くと、どうしても滅入ってしまいます。
その人からも、「体に十分気を付けるよう改めて忠告します」と書かれていました。
私も脳梗塞は十分身近にある病気です。
忠告には従わなければいけません。
それに、こう病気の知らせが多いと、そのたびに、同じようなところに微妙な変化が起きます。
友人から肺がんの知らせを受けた時には、しばらく肺がおかしくなっていましたし、今日の中大脳動脈の閉窄発見の連絡を受けてからは、頭や頸動脈が何やら熱っぽく感じます。
まあ、この歳になれば、どこもかしこも、劣化しているでしょうから、どこがおかしくなっても不思議はありません。
それにすべてが平均的に劣化し、健全度が比例的に低下しているのは、健全な老化という私の理想の状況でもあるのです。

それにしても、病魔が私のまわりの世界を覆いだしているような気配のなかで、私自身は奇妙に病縁がありません。
いろいろと体調の不具合は生じても、それを「健全な老化」と考えていますので、もしかしたら、自分の病気に気づいていないのかもしれません。
しかし、まあいまのところ、大丈夫のようです。
節子が守ってくれているのかもしれませんが、節子が逝ってしまってから数年は別として、5年ほどたってからは、むしろ健康度が増しているような気さえするのです。
みんなには、もう2~3年で終わりたいと言っていますが、終われないかもしれません。
困ったものですが、天命には従わなければいけません。

節子がいなくなってから、現世への未練はほとんどなくなりました。
しかし、身近な人たちの病気の話は身にこたえます。
もうこれ以上、聞きたくないものです。

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