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2016/04/09

■バトミントン選手の裏カジノ問題謝罪会見で思ったこと

バドミントンの桃田選手と田児選手の裏カジノ問題謝罪会見は、見ていて本当につらかったです。
賭博問題で問題になった巨人の高木投手の記者会見の時も、一体誰がこんな純情な若者の人生を狂わせたのかと、強い憤慨の念を感じましたが、こんなにすぐにまた同じ光景を見ることになるとは思ってもいませんでした。
要するに、スポーツ界にはこの種の動きが蔓延しているということなのでしょう。
そう考えてこそ、問題の意味が理解できるような気がします。
悪いのは、彼ら若者ではないと、強く確信します。
私の憤慨の矛先は、いささか短絡的かつ感情的ですが、石原元東京都知事や橋下元大阪市長や森元首相に、そしてかなり八つ当たり的ですが、新自由主義を推進する財界人や政治家に向かってしまいます。

私は現代のスポーツがあんまり好きではありません。
ローマ時代の剣闘士の興業と似てきているように感じられるからです。
有名な選手を見ても、どうも「惨めさ」や「かわいそうさ」を感じてしまい、かつての運動選手のような輝きを感じられません。
もちろんそうでない選手も少なくありませんが、概してそんな気がしてしまうのです。
だから薬に頼ってしまうことも、私にはまったく違和感はありません。

今のスポーツ界はお金で汚染されつくされています。
箱根駅伝のように、まだ安心して見られるものもありますが、最近のスポーツは金儲けのためのショ―になってきている気がしてなりません。
社会のことをよく知らない純粋な若者が、しっかりとした指導もないまま、そうした世界に入ってしまえば、お金に関する感覚も変わっていくでしょう。
2020年のオリンピック騒動がわかりやすく露呈してくれたように、いまやスポーツは、芸能や福祉や環境と並んで、お金のあふれている世界になっています。
醜い社会になってしまったものです。

いまや日本の、というか世界の金融政策は、一種の賭博やカジノと同質とさえ言えるでしょう。
しかも、政府や財界人は、政策としてのカジノまで取り上げています。
そんななかで、体力と精神力をぎりぎりまで使い込みながら頑張っている若者たちが、「遊び」程度の賭博やカジノに迷い込んだことを、社会あげて問題にし、みんなの前で涙の謝罪を指せる社会には、どうも違和感を禁じ得ません。
もっと大きな問題をみなければいけません。

こうした問題が蔓延していることを、スポーツの世界をお金で売り払ったしまったスポーツ界のリーダーたちはどう考えているのでしょう。
まずはその人たちが謝罪すべきではないでしょうか。
若者たちを、スポーツ産業の商品にしていることへの反省はないのでしょうか。
カジノに取り組んでいた政治家や財界人は、カジノとは何かを、きちんと説明すべきではないでしょうか。
マスコミやスポーツファンは、スポーツ選手をお金儲けの手段にする発想こそを問題にするべきではないでしょうか。
ドーピング問題も、そこから出てきているように思います。

ちなみに、田児さんの借金の1000万円を返すために、みんなで寄付をしようというように考える人はいないのでしょうか。
もしそういう田児さん基金ができたら、私も借金を背負っている身ですが、1万円なら頑張って寄付します。
1000人いたら返せるでしょう。
そういう発想で、この問題を捉える人は私だけでしょうか。

やはり私には、社会がおかしくなっているとしか思えません。
そういうことは書きだすときりがないのですが。

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