■節子への挽歌3153:ワクワクよりもモヤモヤ気分
節子
いろんなことが動き出して、最近少してんてこまいです。
ほんの少しだけですが、昔に戻ったような気分です。
しかし、どうも以前のようにワクワクしません。
むしろあんまりすっきりしない気分が浮かび上がってきます。
なぜでしょうか。
柔軟性が低下しているのでしょうか。
昨日は夕方までは湯島の来客はないので、自宅でのんびりしていたら、電話がかかってきました。
ひきこもり家族会の全国組織の代表の方が、会いたいというので湯島に連れてきた、という友人からの電話です。
連れてきたと言っても、当の私は我孫子の自宅にいるわけですから、湯島は空っぽのはずです。
幸い、彼には鍵を渡していたので、勝手に入って待ってもらうことにしました。
それで急いで湯島に向かいました。
まあ、こういうことが時々あります。
私はいつも湯島にいるわけではないことを知っているはずですが、何しろ湯島は駆け込み寺的な存在なのです。
そのため、私が時々「駈け込まなければ」いけないわけです。
湯島駅から、走るようにして事務所に行ったら、おふたりが神妙な顔をして座っていました。
珈琲くらい淹れておいてよと言いたかったのですが、持参のペットボトルを飲んでいました。
しかたなく、私が珈琲を淹れました。
それから2時間、相談に乗り、解決の方向はたぶん合意できたかと思います。
しかし、資料もないので、まずはその組織の実体を把握するのに1時間ほどかかりました。
なにしろ国会議員に会いに行った帰りに、突然私に会いたくなったのだそうで、資料も何も持ってきていないのです。
そんな相手の気ままさに、どうして私が、自宅でのゆったりした時間を切り上げて、跳んでこなければいけないのか。
断ればいいだけの話なのですが、誰かが相談に来たら行かなければいけないという思考が、私のなかに、どうもしみついているのです。
困ったものです。
さて夜も、別件での相談です。
この方は資料を事前にもらっていましたが、6頁にわたる上に、文字も多く、しかもメールで送られてきて、印刷しておいてください、などと書かれていると、それだけで読む気も起きません。
有料相談ならともかく、珈琲付きで無料相談なのですから、資料くらいは自分でコピーして持ってきてほしいと思います。
まあそう思うのですが、心身の方はなぜか言われたように動いてしまうのです。
これまた困ったものです。
というようなことが毎日起こると、いささかすっきりしない気分が起こってきます。
かなり具体的に書いてしまいましたが、これらはまだいいほうの事例です。
しかし、いろんな人に会っていると、人の善意とは悪意と隣り合わせだなと思うこともあります。
そんなこんなで、最近はワクワクするよりも、モヤモヤすることが多くなっているのです。
実に困ったものです。
だれかにこのモヤモヤをぶつけたいです。
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