■節子への挽歌3145:農作業デイ
節子
今日は午後から畑に行きました。
めずらしく娘のユカが手伝ってくれて、10種類以上の苗を植え終わりました。
花の種を蒔いて、苗を育てる畑も作りました。
少しずつ畑らしくなってきました。
何しろ白菜やキャベツまで植えてしまったので、植えた以上はできるだけ畑通いをしなければいけません。
道沿いの斜面に植えた芝桜も元気ですし、チューリップも元気です。
この勢いだとうまくいきそうですが、油断はできません。
梅雨に入り、畑に行かない日が数日続いただけで、野草はすごい勢いで、畑を席巻してしまうからです。
畑作業をしていると、自然の生命力を感じます。
昨日は、人を癒すのは音楽だけだと書きましたが、意味合いは少し違いますが、自然もまた人を癒してくれます。
わが家の農場は、畑というよりも、むしろ野原といったほうがいいのですが(耕してある部分は一部で、野草で覆われているところの方がほとんどなのです)、その草の上に座り込んでいると、とても居心地がいいのです。
今日は、かなり大きな殿様バッタに出会いました。
あまり草を刈り取ってしまうと、彼らの生活環境がなくなってしまいますので、まあそこは微妙なところなのです。
座っている分にはいいのですが、実際に土を耕し、畝をつくっていくのはかなり大変です。
なにしろもともと畑ではない宅地用の空き地なので、土は固いですし、笹が根を張っています。
それこそひとつ農園をつくるだけで息切れがしてしまいます。
頑張りすぎると立ちくらみでダウンです。
今年もすでに一度やっています。
ゆっくりとゆっくりとやらなければいけません。
畑を終わって自宅に戻ると、もうへとへとです。
実はわが家の畑は、自宅から見下ろせる位置にあります。
そこに行くには回り道をしないといけないのですが、高台にあるわが家の下に位置しているのです。
ですから帰宅して庭から見下ろすことができるのですが、いつも頑張って帰宅して、上から見るとあんまり変化が見えないのでがっかりするのですが、今日は、苗が植えられたので変化がはっきりと見えました。
この調子で、今年は大収穫を目指そうと思います。
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