■カフェサロン「今、子どもたちが危ない!」の報告
昨日の「今、子どもたちが危ない!」をテーマにしたサロンは、14人の参加で、熱い議論が交わされました。
問題提起してくれたのは、児童虐待防止全国ネットワークオレンジリボンの久米さん。
女川で活動している宮崎さん(学校と地域の融合教育研究会)も「伝えたいことがある」と言って参加してくれました。
いつものように、実に多彩なメンバーです。
久米さんはまずご自身が関わっているオレンジリボン運動(http://www.orangeribbon.jp/)の話を紹介してくれたうえで、参加者に問いかけるスタイルで話を進めてくれました。
前回の吉田さんの時もそうでしたが、なかなか先に進めないほど、発言が多いのです。
みんな「思い」が山のようにあるようです。
最初の問いかけは、次の3つが「育児」か「しつけ」か、というものでした。
①「怒って子どもを叩いてしまう」
②「遊ぶ時間がないほど毎日習い事に通わせる」
③「毎食コンビニお弁当」
議論百出で、①だけでも2時間がたちそうでしたが、大きくは、「暴力的行為は絶対にダメ」派と「状況による」派と別れましたが、後者が多かったように思います。
私は「叩く」ということが即虐待というようなマニュアル的な発想や問題提起のあり方に、むしろ問題の本質を感じています。
「ハグ」も「叩く」も、人間の表現形式の一つではないかと思うからです。
問題は「叩き方」であり、大切なのは、相手に対する姿勢、さらには日常的な人と人との関係のありようではないかと思うからです。
その意味では、私は②と③こそが「虐待」ではないかと思っていましたが(一時的な行為ではなく日常的な状態ですから)、話し合っているうちに、それもまた「短絡的」だという気がしてきました。
「身体的な虐待」や「暴力の行使」は「犯罪」ですから、その取締りをきちんとすればいいだけの話です。
むしろ問題にすべきことは、そうした犯罪や暴力ではなく、目には見えにくい「精神的虐待」や「構造的虐待」であり、さらには「虐待をしてしまう状況に追い込まれている人が増えている」という社会のあり方だろうと思います。
「子どもの虐待」という「事実」の奥にある「虐待を生み出す社会」に焦点を当てていくことが必要です。
そうした社会つくり出しているのは、私たち一人ひとりですから、それを変えていくのもまた私たち一人ひとりであるはずです。
このステップの最後に、久米さんは、「高層住宅の上層階で済むことはどうだろうか」という問題を付け加えましたが、これもとても示唆に富む問いかけだと思いました。
こうした議論を踏まえて、「児童虐待のない社会」にするには、という議論に移りました。
「子どもの立場に立って考えること」の大切さが指摘されましたが、そもそも「子どもの立場に立つ」とはどういうことかの議論になりました。
結局は、大人が考える「子どもの立場」は、大人の立場かもしれません。
親から虐待を受けている子どもも、ほんとは親がとても好きなのだと、実際に活動に取り組んでいる日高さんから指摘がありました。
それに、子どものほうこそ、親の立場を考えて嘘をつくことさえあるという指摘もありました。
私もそういう体験をしたことがあります。
母娘の関係は、実に不思議です。
単なる共依存の理論で理解してはいけない深さを持っているように思います。
とまあ、こんな感じで話し合いはつづいたのですが、最後の方では、虐待をしたくて虐待している人はほとんどいないのではないかという話題になりました。
つまり、みずからもまた、社会から広い意味での虐待を受けて、生きづらくなり、その結果、弱い立場の子どもへの虐待が生じているとしたら、まずは親を虐待から解放しなければいけません。
虐待されている子ども不幸ですが、虐待している親もまた、被害者だという気がしてなりません。
私が、児童虐待の報道に触れて、いつもまず思うのは、子どもと同時に、親への憐憫の情、あるいは親子の関係の哀しさです。
親に関する報道姿勢はいつも厳しいですが、親の状況をもっとしっかりとみていかないと、児童虐待はなくならないように思います。
しかし、そう考えると問題は解決しません。
虐待している親の現実は止めなければいけませんし、具体的な虐待から子どもたちを守らなければいけません。
たぶん、こうした大きく異なった問題が混在しているために、事態はなかなか変わっていかないような気がしますが、それはともかく現実の問題への取り組みも大切です。
児童虐待防止活動に取り組んでいた高月さんからは、参加者一人ひとりができることを考えてほしいという発言がありました。
私に何ができるか。
企業の経営管理者のみなさんに、自分たちが働いている世界の外部では、実は子どもたちはこんな世界に生きているのだということをもっと知ってもらうことが大切だという話も出ました。
私もできることは、そうしたことへの働きかけかもしれません。
いつもながら、伝えたいことのほんの一部しか伝えられずにすみません。
参加者の方、フォローしてもらえるとうれしいです。
次回は、子どもたちや親たちへのあたたかい眼差しで、長年実践活動をされている日高さんに、さらに一歩突っ込んだ現場からの報告をしてもらう予定です。
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