« ■『「意地悪」化する日本』のお薦め | トップページ | ■カフェサロン「人工知能と人間の創造性について考える-音楽を切り口として」「コンピューターに作曲が可能になった今、人間は音楽で何ができるのか?」のご案内 »

2016/04/01

■節子への挽歌3133:3人の私

節子
4月になりました。
手賀沼沿いの桜も咲きだしています。
あけぼの山公園も満開に近づいているのかもしれません。
今日は、湯島の帰りに上野に寄ってこようかと思いましたが、久しぶりに来訪してくれた旧知のYSさんと長話をしてしまい、何やら疲れ切ってしまって、寄らずに帰りました。
今年も花見の機会はないかもしれません。

YSさんは、夫婦2人でやっていたデザイン会社をたたんで、京都に戻ることにしたのです。
会社勤めの場合には、平和な老後が保証されますが、個人企業の経営者はそんなにあまくはありません。
会社を清算するのも、それなりに苦労が多いのです。
それも、自分たちがやりたい仕事だった場合は、特に大変です。
YSさんも、蓄財どころか、会社をやめるためには資金が必要で、
そのために、自宅を売って、京都に転居するということで、準備をしてきたようです。
そうしたことがほぼ一段落し、先が見えてきたというので、挨拶に来てくれたのです。
京都では、南禅寺近くに住んで、できれば、近くの大学に聴講生として通うことを考えているようです。
夫婦ともに京都のご出身なので、豊かな暮らしになるでしょう。

こんなようにして、私の友人知人も少しずつ、仕事から離れだしています。
夫婦で、これまでできなかったことに取り組もうとしている人も少なくありません。
私自身には、そういう選択肢は残念ながらありません。
やりたかったことはその都度可能な範囲でしてきましたし、節子がいなくなった今は、やりたいこともなくなってしまいました。

しかし、こうして昔からの友人知人との交流もだんだん少なくなってきています。
いま私が付き合っている多くの人たちは、もう節子の知らない人が多くなっているのです。
鬼籍に入った人たちも少なくありませんし、遠い出身地に戻った人たちも多いです。
私のように、いまなお生き方もオフィスも変えずに、同じような生き方をしている人は、一人もいません。
みんなどんどん変わっているのです。
しかし、私の生き方は、会社を辞めた時からは全く変わっていません。
久しぶりに会う友人知人は、みんな異口同音に、「佐藤さんは変わらないね」と言います。
いい加減な生き方をしていると、変えるにも変えようがないというのが、実は正直のところですが、しかし、私の生き方は変わっていないとしても、私が知っている私は大きく変わってしまっているのです。

節子がいなくなってから、私の生き方は大きく変質してしまっています。
それは誰にもわからないかもしれませんが、私にはよくわかります。
節子がいた頃の私は、もういないのです。
節子がいた頃の私が、いまの私を見ていて、そう思うのですから、間違いはありません。
おかしな話ですが、私を見ている私と私に見られている私は、かなり明確にわけられます。
なにやら不思議な気がしないでもありませんが、節子がいなくなってから、私に中には2人の私がいるのです。
いやそれを別々に見ている、3人目の私もいるのかもしれません。

桜を見に行かないのか、と1人目の私が毎年問いかけます。
迷った挙句に、今年もやめようとする私がいる。
そして、やはりまだそうなのかと言う3人目の私がいる。
こうして今年も、まだ桜を見には行っていないのです。

|

« ■『「意地悪」化する日本』のお薦め | トップページ | ■カフェサロン「人工知能と人間の創造性について考える-音楽を切り口として」「コンピューターに作曲が可能になった今、人間は音楽で何ができるのか?」のご案内 »

妻への挽歌16」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■節子への挽歌3133:3人の私:

« ■『「意地悪」化する日本』のお薦め | トップページ | ■カフェサロン「人工知能と人間の創造性について考える-音楽を切り口として」「コンピューターに作曲が可能になった今、人間は音楽で何ができるのか?」のご案内 »