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2016/04/28

■節子への挽歌3160:「あなたはひとりじゃない」からこその哀しさ

節子
東北学院大学の学生たちが中心になって、東北の被災地での聞き込みをベースにした「呼び覚まされる霊性の震災学」を読みました。
その第1章は、「死者たちが通う街―タクシードライバーの幽霊現象」です。
これは当時も大きな話題になった話ですが、実際に幽霊をタクシーに乗せた運転手はたくさんいるようです。
なかには、子どももいて、実際に降りる時に手を貸した事例まで報告されています。
ほとんどが若い人で、季節外れの冬の服装だったようです。

今日、オフィスにまったく別件で、仙台から来た人がいるので、その人に話したら、何の違和感もなく、そうなんですと答えが返ってきました。
なんの不思議もなく、受け入れられていることなのでしょう。

私も何の疑いも持ちませんが、他にも不思議な話が紹介されていました。
名取市閑上の震災慰霊碑に、たくさんのチューリップの球根を植えたそうです。
ところが芽を出したのは14本。
そこでなくなった子どもたちが14人だったのです。
幽霊というといささか適切ではないと感ずる人もいるかもしれませんが、現在の人智では理解できないことはあるのです。

理解できないと言えば、愛する人を亡くした被災者の気持もまた、理解できないことの一つです。
その本にこんな紹介も出ていました。

テレビをつけても、「あなたはひとりじゃない」と呼びかける公共広告や芸能人に怒り、テレビに物を投げつける日もあった。
私は公共広告のCMが好きでしたが、東北の大地震の後、生理的に拒否感が生まれました。
いまもなお、公共広告のCMをみると、心がざわざわします。
「あなたはひとりじゃない」とか「絆」とか、一体だれが言い出したのでしょうか。
決して悪い言葉ではありません。
しかし、被災した直後の被災者に言うべき言葉ではないだろうと私は感じていました。
大切な人を失った人は、矛盾した言い方ですが、その人と一緒であるからこそ、辛いのです。
ひとりじゃないからこそつらい。

タクシーの乗った幽霊たちもまた、ひとりではないからこそ、戻ってきたのです。
私たちは、みんな一人ではないのです。
だから悲しくてつらくて、さびしいのです。

なんだかわけのわからない話になってしまいましたが、この本を読んで、3.11ではなく、9年前の9月3日を思い出してしまいました。

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