■神様の警告
熊本の大地震は、私には川内原発稼働を許した私たちへの神様の警告のような気がします。
昨夜、テレビでニュースに最初に触れた時に頭に浮かんだのが、そのことです。
熊本で被災した人たちには、不謹慎かもしれませんが、今日もずっとその考えが頭から抜けません。
震源地が鹿児島だったら、どうなっていたかと思うとぞっとします。
川内原発の再稼働差し止め訴訟を却下した裁判官はどんな思いでこの報道を見ているでしょうか。
自然のエネルギーの大きさや気まぐれさへの考えは変わったでしょうか。
原子力規制庁は、熊本地震の影響はないと公表していますが、これまでのことを考えると、その公表をそのまま信頼することもできません。
いささかの不安はどうしても残ります。
せめて、こんな影響があったとか、こんな被害があったと言ってくれれば、少しは安心できるのですが。
テレビの報道を見ていると、一部のキャスターの人は、なんとなく川内原発再稼働差し止め訴訟のことを意識しての発言ではないかと思うことも少なくありません。
活断層はどこにあってもおかしくないとか、火山活動も活発になってきているとか、聞きようによっては、川内原発差し止め訴訟の裁判官へのメッセージのように聞こえて仕方がありません。
私の独りよがりの可能性は大きいですが。
もう40年ほど前になりますが、たしか「人類は滅びるか」という座談会の記録を読んだことがあります。
その本が手元に見つからないのでいささか不正確ですが、そこで、人類は22世紀には滅んでいるのではないかというような話し合いがなされていました。
そう言ったのは、たしか今西錦司さんでした。
かなりショッキングな話ですが、私も最近そんな気がしてきました。
もしかしたら、22世紀を迎えることはないのではないか、とも思います。
人の死はみんな当然のこととして受け入れます。
しかし、なぜか人類の滅亡は誰も考えようとしません。
しかし、種としての生物はいつか必ず滅亡するはずです。
人類の滅亡はもう少し先かもしれませんが、日本という国に対して、神様は警告を出しているのではないか。
最近そう思うことが少なくありません。
そう思う理由はもう一つあります。
それは東日本大震災の被災地の東北の海岸沿いに高い堤防が建てられる動きです。
私にはあれは、バベルの塔のような気がしてなりません。
神への、つまり自然への冒涜ではないか。
神様が怒るのではないか、とそんな気がしてならないのです。
現地の方には大変失礼なことだとは思うのですが、そういう気がしてならないのです。
私たちは、自然との付き合い方を間違っているのではないか。
この数年の日本の自然災害は、神様の警告なのではないか。
そんな気がしてなりません。
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