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2016/04/05

■節子への挽歌3137:湯島はにぎやかな1日でした

節子
今日もまた湯島はにぎやかな日でした。
いろんな人たちがやってきました。
湯島にいると退屈しません。
しかし、最近は知らない人たちが、それも私とは関係ない事柄で、相談に来るようになってきました。
湯島は「駆け込み寺」みたいな場所ですと私が話してしまっていたために、
どうも気楽に、「それなら湯島に行けばいい」と気安く私を紹介してしまう人がいるのです。
そのおかげで、私がどのくらい大変な目にあっているのか、わかっているのでしょうか。
困ったものです。

もっとも、大変な目にあうと同時に、楽しい出会いをいただくことも多いのです。
湯島がいまなおにぎわっているのも、そのおかげです。
ですから困ったものだなどと言いながらも、ありがたいことだとも思わないといけないわけです。
ややこしい話で、まあ、それこそが困ったことなのですが。

ところで、今日は、その気安く私を紹介してしまう不埒な人が、ふたりも湯島に来たのです。
文句を言いたかったのですが、一人はおいしいお菓子を、もう一人は手づくりのおにぎりを持ってきてくれたので、文句が言えませんでした。
貧しい暮らしをしていると、そういうお土産にすぐに騙されてしまうのです。
その上、ややこしいことに、その紹介者が私に相談に行けと言った人たちまで来てしまったのです。
実にややこしい。
しかも、その人は問題が解決しましたといってお菓子まで持ってきてしまったので、この紹介好きな2人は、また誰か問題を抱えた人を私に送り込んでくるなと心配になりました。
実に困ったことです。

でもまあその人のフルーツケーキもおいしかったので、良しとしましょう。
貧しい暮らしは、人をやさしくするのです。
貧しい暮らしは、人を豊かにもしてくれるのです。

でも今日は、甘いものを食べすぎて、いささか調子が悪いです。
貧しい暮らしの人に大切なのは、分不相応な美食の誘惑に勝つことです。
今日、食べた中で一番おしかったのは、おにぎりについていた、これも手づくりのきゅうりの浅漬けでした。
貧しい人には、貧しい人に合った食べ物がやはり一番です。

明日は湯島に行かずに、畑にきゅうりを植えようと思います。
貧しい人の、豊かな暮らしは、大事にしなければいけません。

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