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2016/04/26

■節子への挽歌3158:雑念から解放された3時間

節子
いろいろとあって気分がどうもすっきりしないので、今日は3時間近く畑作業に取り組みました。
まあ取り組んでいる時はいいのですが、帰宅した途端に倒れそうです。
しかしがんばったおかげで、畑の面積がかなり増えました。
改めてまた、きゅうりと茄子と白菜とキャベツとレタスとピーマンを植えました。
風の強いところなので、また強風にやられることも考えて、少し余分目に植えたのです。
さらに今日はねぎを2畝つくりました。
今回はきちんと野菜用の肥料も蒔き、支えもつくりました。
たったこれだけのことなのでが、かなりの労力なのです。
なにしろちゃんとした畑ではなく、宅地の空き地ですから。
篠笹の根っこがともかく張り巡らされているのです。

道沿いの花壇にも、マリーゴールドを買ってきて植えました。
チューリップは終わったので、いまは花目が少なくさびしかったからです。
そう言えば、昨年の百日草の種をとっておいたので、そろそろ蒔き時かもしれません。
だいぶ慣れてきました。

畑作業をやっていると、矛盾した言い方ですが、無心に何かを思いつきます。
たとえば、今日は自分のやっていることは、自然界からすれば、ISと同じではないかなどという思いが、ふと浮かんできました。
そもそもここは農地ではないので、まずある面積の四方に棒を立てて、その一画の野草をともかくすべて破壊するのですから、そう思ってもおかしくないでしょう。
畑を覆っている野草を無残にも根っこから刈り取ったり、鍬を入れてもしかしたらミミズを切断したりしているわけです。
畑作業とイスラム過激派とは、普通はあんまり結びつきませんが、そんなことを突然考えたりしているわけです。
そんなことを思っていると、ISの暴挙も理解できる気もするのです。
自然と付き合っていると、人は自分の考えを相対化できるようになります。
自然の前には、人知など、いかにも小さいからです。

ところで、野菜にしろ花にしろ、私はあんまり植えるのに慣れていないので、時に失敗してしまうこともあります。
今日はうっかりして、マリーゴールドの花を折ってしまいました。
そんな時には、自然と「ごめんごめん」と声が出てきます。
おそらく花はそれを聞いているでしょう。
きちんと謝っておかないと枯れてしまうのです。
まあそんな感じで、畑にいるとさまざまな生命と交流できるわけです。
風と話せることもあります。

雑念から解放された3時間でした。
しかし、帰宅してパソコンを開くと、あっという間に、雑念の世界の住人です。
最近少し疲れ気味なので、雑念に勝てません。
困ったものです。

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