« ■節子への挽歌3145:農作業デイ | トップページ | ■節子への挽歌3146:育つ縁と消える縁 »

2016/04/13

■私たちは本末転倒した生き方をしていないでしょうか

また保育園に預けていた子供が死亡する事件が起きました。
その事件の報道に合わせて、1か月前にも同じような死亡事件が報道されています。
こういう「同種の事件の報道」に接するたびに、報道される事件とは「氷山の一角」でしかないことを思い知らされます。
おそらく保育園での死傷事件は、報道されている以上に多いのではないかと思います。
にもかかわらず、子どもを預けて働きに出る。
そこに大きな疑問を感じます。

私が保育園問題に取り組んだきっかけは、ある経済人対象の集まりで、生活の視点からの企業のあり方に関する報告をさせてもらったら、参加者の一人が、日本の経済基盤に大きな影響を与える少子化こそが問題だと発言されたことです。
私も当時、少子化に関する問題意識は持っていましたが、経済人は、それを「労働力と消費者の減少」と捉えているのだと気がつき、唖然としました。
しかし、当時はまだそうした意識さえ持つ人はさほど多くはありませんでしたが。
その後、財界でも少子化問題が盛んに話題になりだしました。
1990年(平成2年)の話です。

そういう経済界の発想には納得できないので、新しい保育モデル構想を考えるプロジェクトを始めました。
理念は、ソーシャル・フォスターリズム。保育とは社会の問題だという捉え方です。
それに基づいて、具体的な保育園の設計もし、あるところに提案させてもらいました。
残念ながら実現はしませんでしたが、その後、世論はますます「少子化」を経済の問題と捉えるようになりました。
こういう流れが、福祉でも環境でも同じです。
すべては「市場化」が理念でした。
社会の劣化が、そこから急速に始まった気がします。

保育問題は、誰のためのものなのでしょうか。
子どもたちのためのものか、働く親や企業、つまり経済のためのものか。
保育園落ちた日本死ね!という発想は、子どもの視点ではありません。
経済界や政府には、実に好都合な考えですから、両者がそれに飛びついたのは当然です。
保育園に入らずに親と一緒に暮らせるのであれば、子どもは喜ぶかもしれません。
待機児童を減らすために施設としての保育園をつくる発想は、私には本末転倒に思えます。
考え方が、基本から間違っているとしか思えません。

私たちは何のために働くのでしょうか。
お金のためでしょうか。
子どものためでしょうか。
そうはいってもお金がなければ生活できないという人には、お金がなければ生活できないような生き方を一度問い直してみたらと言いたい気がします。

私たちは何のために子どもを育てるのか。
まさか労働力や消費力を提供するためではないでしょう。
生きるとは何か。
働くとは何か。
そして、子どもを育てるとはどういうことか。
子どものために生き方を変えることができなければ、親のエゴでしかありません。

待機児童が減れば子供たちは幸せになるのか。
そして、親たちは幸せになるのか。
私には大いに疑問があります。
私たちの生き方は、あまりに本末転倒になっている気がしてなりません。
せめて私は、そんな生き方はしないようにしようと思っています。

|

« ■節子への挽歌3145:農作業デイ | トップページ | ■節子への挽歌3146:育つ縁と消える縁 »

生き方の話」カテゴリの記事

社会時評」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30899/63479922

この記事へのトラックバック一覧です: ■私たちは本末転倒した生き方をしていないでしょうか:

« ■節子への挽歌3145:農作業デイ | トップページ | ■節子への挽歌3146:育つ縁と消える縁 »