■節子への挽歌3139:ルーティンとリズムの大切さ
節子
四国のお遍路さんをしている鈴木さんから手紙が来ました。
歩き出してから1週間。
まもなく高知県に入るようです。
サンティアゴ巡礼と違って、宿が個室、納経の時間が結構長いようです。
それでもだいぶお遍路リズムには慣れてきたそうです。
人生もまたリズムに乗れると順調に進んでいけます。
しかし、そのリズムが壊れてしまうと、どうも生きにくくなる。
節子がいなくなってから、一番の問題は、このリズムが変調したばかりでなく、安定しなくなったことです。
この9年の私の生活リズムは、なかなか安定できずにいます。
最近は就寝時間が9時台のこともあるのですが、節子がいた頃に11時前に眠ることなどあり得ませんでした。
それがいまでは、9時に就寝していることさえあるのです。
そうかというと、気がついたら12時を回っていることもある。
朝の起床時間はさほど大きくは変わりませんが、早い時には午前5時、さすがに8時ということはありませんが、7時半ころに起きだすこともあります。
ともかく安定できずにいます。
いわゆる「ルーティン」ということで言えば、朝晩の節子へのあいさつは破られることはないとしても、それ以外の「ルーティン」はほぼありません。
一日単位でも週単位でも、ルーティンがないので、曜日感覚や月日感覚がかなり弱まっています。
それもまた生活をおかしくしているのかもしれません。
自由気ままな生き方のほうが生きやすいと思いがちですが、どうもそうではないようです。
人は、ある程度のルーティンがないと、リズムがつけられないのかもしれません。
生きやすさとは、生活のリズムのことなのかもしれません。
伴侶の存在は、お互いにある程度の制約を与え合うことで、リズムを整える効果があるのかもしれません。
今年は、改めてもう一度、自分で生活リズムを安定させて、ルーティンを増やしていこうと思っています。
この挽歌も、以前ように、毎朝書けるようになるといいのですが。
| 固定リンク
「妻への挽歌16」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌3200:苦があるから楽があり、楽があるから苦がある。(2016.06.07)
- ■節子への挽歌3199:付き合っていて煩わしくないのが伴侶(2016.06.06)
- ■節子への挽歌3198:他者の夢に寄生した生き方(2016.06.04)
- ■節子への挽歌3197:お布施人生(2016.06.03)
コメント