« ■みんなのものは誰のものでもない? | トップページ | ■節子への挽歌3154:スーパーでの買い物 »

2016/04/21

■「小さな鍵」と「大きな鍵」

鍵の話を昨日書きましたが、それで思い出したのが、千葉県習志野市の秋津小学校の宮崎校長です。
宮崎さんは、校長時代に学校の鍵を地域の信頼できる人たちにばらまいたのです。
学校を地域住民みんなで活かしていく場にしようと考えたからです。
そして生まれたのが、学校と地域の融合教育研究会です。
いまは宮崎さんは、校長を辞めて、まさに「みんなのものをみんなのものしよう」という活動に取り組まれています。
ちなみに、秋津小学校は、いまも不登校もいじめもないとお聞きしています。
秋津小学校の話は、有名なので、ネットで調べればいろいろと出てきます。
もしみつからなかったら連絡いただければ情報を差し上げます。

鍵は、外部からの侵入を遮断するために使われますが、考えようによっては、逆に外部そのものを引き込むものでもあります。
宮崎さんから鍵を預かった住民は、学校という空間を活かす責任を得たわけです。
責任に関しては、いつかまた書こうと思いますが、私は、義務ではなく権利と捉えています。
鍵を預かった住民たちは、学校の仲間になったわけです。
鍵はメンバーシップの証です。
「鋏と鍵は使いよう」なのです。
そのことに気づかせてもらえたのは、宮崎さんのおかげです。

宮崎さんが配ったのは、「物としての鍵」ですが、実は同時にメンバーシップという形のない意識のつながりを生み出したのです。
私は、それを「大きな鍵」と呼んでいます。
昔はみんな大きな鍵に守られて生きていました。
でも今は、「小さな鍵」で自分を守ろうとしています。

熊本の被災地で、空き家からの盗難が起こっているようです。
被災者は、支援物資の配給にもきちんと列をつくっている一方で、外部からやってきた人たちが、そうした不埒な行為を働いているのは、実に哀しくてさびしい話です。
その報道を見ながら、改めて「大きな鍵」の大切さと宮崎さんの活動を思い出しています。
宮崎さんを見習いたいと、いつも思っています。

|

« ■みんなのものは誰のものでもない? | トップページ | ■節子への挽歌3154:スーパーでの買い物 »

社会時評」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30899/63515467

この記事へのトラックバック一覧です: ■「小さな鍵」と「大きな鍵」:

« ■みんなのものは誰のものでもない? | トップページ | ■節子への挽歌3154:スーパーでの買い物 »