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2016/04/15

■節子への挽歌3148:自分の言葉を大事にする生き方

節子
熊本で大地震が起こりました。
気になっていたのですが、こうした時に連絡を取ることは迷惑以外の何物でもないことを体験していますので、相手からの連絡を待ちました。
幸いに、私の友人知人たちはみんな無事でしたが、それぞれに多大な被害を受けています。

最近は電話やメールなどで、かんたんに他者との連絡が取れます。
そのせいか、たぶん「過剰なお見舞い挨拶」が飛び交っているような気がします。
そしてそれに慣れてしまうと、他者への心遣いもまた、形式の世界に吸い込まれかねません。
さらに、「言葉」が軽くなっていく傾向があります。
注意しなければいけません。

私は、一度発した「自分の言葉」にはかなりこだわっていますが、正直、他者の「言葉」には最近、信頼を置かないようになっています。
言葉だけの人が、ともかく増えてきているからです。
たぶん本人はそういう自覚はないでしょうし、ましてや「悪意」などもないように思います。
社会全体が、「言葉」を大事にしなくなってきているように思います。
しかし、「言葉」を大事にしない社会は、住みにくい社会のはずです。
そう思って、私は「言葉」を大事にしています。
自分が発した「言葉」は、自分との約束だと思っているからです。
自分に素直に生きるとは、自分を裏切らないということですので。

熊本では多くの被災者が出ているでしょう。
またみんなの目がそちらに向いてしまう。
それは決して悪いことではありません。
でもそういう大事件に目を奪われやすい社会もまた、私には住みにくい社会のように思います。
ちょっと周りを見れば、大きな事件とは無縁な日常生活の中で、問題を抱えて生きにくくなっている人たちがいます。
そう言う人たちへの心遣いこそが、まずは大事だとも思うのです。
普段は、そういう周辺の問題を見ないようにしながら、大きな災害があるとボランティアに出かけたり、寄付をしたりする、そういう生き方は、企業が事業を通して社会に日常的に負荷をかけながら、社会貢献事業などと言って、無駄なお金を顕示的に支出している姿と重なってしまうのです。

本当はこういうことを時評編に書きたかったのですが、誤解されそうなので、挽歌編で節子に向けて書いてしまいました。
節子ならどう考えるでしょうか。
節子は、東日本大震災も経験せずに、逝ってしまいましたが。

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