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2016/04/16

■節子への挽歌3149:「いい人」が集まる「ユートピア」

節子
今日は、みんなのゆる~いカフェサロンと高等遊民会議という2つの集まりを湯島でやりました。
最近は毎週のようにいろんなサロンがあるので、自分ながらいささか混乱してしまいます。
しかし、世間にはいろんな人たちがいることを知ると元気が出てきます。
もしかしたら、この湯島はちょっと変わった人たちが集まってくるのかもしれませんが、ともかく「いい人」ばかりです。
ある意味でのユートピア、つまり「現実的でない場」なのかもしれません。
そんな気もします。

今日、最初に来たのは小学6年生の子供と母親です。
湯島には、小学校入学前の子どもがきたことはありますが、小学生は初めてです。
最後に来たのは、29歳のお坊さんです。
というわけで、今日も実に多彩の人たちとの出会いがありました。
湯島にいると、実にいろんな人と会えるのです。
しかも、みんな「いい人」ばかりです。
そう言う人たちばかりにあっていると、どうして世界には戦争や犯罪があるのか不思議な気がします。
そう考えると、やはり湯島に来る人たちは特殊なのかもしれません。

「いい人」が集まる「ユートピア」。
考えてみると、これは「彼岸」ではないかという気がしてきます。
もしかしたら、私はもう死んでいて、ここは「彼岸」かもしれない。
ふと、湯島からの帰りに、そんな気がしてきました。
実は、彼岸に旅立ったのは節子ではなく私だったのかもしれません。
そう考えるとなにやら納得できることもあるのです。

もしそうであれば、もう少しゆったりさせてほしいなと思います。
帰宅してメールを見たら、明日は朝の9時にはまた湯島に行かなくてはならないのだそうです。
昨夜も真夜中にテレビで九州の地震の報道を見ていてあんまり寝られなかったのですが、そのせいか、帰宅してこの挽歌を書きだしたら、頭が痛くなってきました。
そういえば、今日湯島に来た若者は、職場のストレスで頭痛が絶えないそうです。
「いい人」が集まる「ユートピア」も、それなりにストレスはたまるのかもしれません。

そう言えば、今日、やってきた杉原さんが、よくまあいろんなサロンをやっていますね、と言っていましたが、ちょっとやりすぎかもしれません。
なんでこんなことになってしまったのでしょうか。
きっと「いい人」が多すぎるからでしょう。
困ったものです。

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