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2016/04/14

■話すことと語ること

ストーリーテリング協会を仲間と一緒に立ち上げました。
立ち上げにあたって、「ホモ・ナランス宣言」を書きました。
その草案をホームページにアップしています。
正式には協会のコアメンバーによって修文された者が、協会のホームページには掲載されるでしょうが、私自身は言うまでもなく、私が書いた草案が気にいっています。
よかったら、読んでください。
http://homepage2.nifty.com/CWS/narrative.htm

ところで、「話す」と「語る」とは意味合いが違います。
「話す」は、言葉を「放す」ことです。
それに対して、「語る」は、言葉によって価値を「象(かたど)る」ことです。
一方的なスタティックな行為と創造的なダイナミックな関係との違いがあります。

このブログの時評編の記事を時々フェイスブックに再計したり紹介したりすることがあります。
そうするといろんなコメントをもらいます。
たとえば、昨日の「私たちは本末転倒した生き方をしていないでしょうか」をフェイスブックに書きました。
私のフェイスブックは公開型なので、誰でもがコメントできます。
時に知らない人もコメントしてくれます。
それはとてもうれしいことです。
しかしいつも気になることがあります。
多くの場合、「語る」よりも「話す」ものが多いことです。
私の書いたものをきちんと消化しないまま、別の話を書きこんでくる人も多いのです。
テーマをすり替える人も少なくありませんし、私の主張を読み違える人も多いです。
つまり、あたしの主張をきっかけに「たまっていること」を放すスタイルです。
そういうスタイルが増えているのは、フェイスブックだけではありません。
むしろ社会全体が、そうなっている。
テレビのコメンテーターの発言のほとんどは「話す」型です。
もっと語ってほしいのですが。

私はできるだけ「語る」姿勢でコメントにはコメントを返しますが、それにも「反応してくれない」人もいます。
もちろんよく知っている人は、きちんと再びの反応をしてくれることが多いのですが、知らない人はコメントしたまま、それへの私のコメントも読んでくれたかどうかさえわからないこともあるのです。
そういうことが繰り返されると、コメントを返すのもおっくうになります。

とまあ、愚痴っぽいことを、それこそ「放って」しまいましたが、「ホモ・ナランス宣言」に書いたように、改めて「物語る」生き方を取り戻さないといけません。
もし共感して下さったら、ぜひストーリーテリング協会に入会してください。
活動が軌道に乗るまでの2年間は、私が代表を務めるつもりです。
ストーリーテリング協会のホームページはまだ作成途中ですが、次にあります。
http://www.storytelling.tokyo/

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