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2016/04/23

■「見える困窮と見えない困窮」にいただいたご意見

昨日の「見える困窮と見えない困窮」をフェイスブックでも紹介したところ、いろんな意見をもらいました。
その一部を今日は紹介させてもらいます。

〔広島在住の方〕
私が大学生の頃、ちょうどUSA for AFRICAが流行ったりして、ちょっとしたチャリティブームでした。しかしながら、募金に参加する気になれなかったのは、ちょうど同じ時期、困窮きわまった私の実家では、米が買えないので「もやし」を分け合って食べていたからだと思います。助けてくれるのであれば、まず私の実家を助けて欲しかった。もちろん、日本に住んでいるだけで、多くのアフリカの子どもたちよりは恵まれているのはわかっています。しかし、気持ちはそのような絶対的な比較だけで決まるものではありません。チャリティは、色々な意味での余裕がある人々に任せておけばいい、そう感じてしまうのです。
ですので、「自分も現地支援したい気持ちでいっぱい。いてもたってもいられない心境。」
になどなったことがないので、自分は良くない人間なのだと思います。ただ、私は私以外の人生を生きることができない、という意味で、この気持ちを一生抱えていくしかないのでしょう。

〔60代の東京在住の方〕
佐藤さんのお気持ちは今週の一連の記事を読ませていただいて心に沁みます。
しかし、一方で、天の邪鬼の小生は、熊本地震への芸能人・タレントの寄付に対して、容赦なく浴びせられる“偽善”“売名行為”などの“ヘイトコメント”を想像してしまいました。
趣旨が違うけど、熊本地震に支援されている方々を非難してはいないにもかかわらず、仄かにそれに近い印象を受けてしまうのです❗人間としての大きさが違うのか、、、よく分かりませんが、素直な気持ちです❗
“困窮”の原因がハッキリしているからか、同じ日本人だからか、心が広くないからか、自分が困窮しているからか、、、??理由は定かではありませんが、熊本にも支援していない自分が情けなくなりそうな名文でした❗(。>д<)

〔東京在住の建築家の方〕
佐藤さんの言われることはもっともだと思います。多分思っていても言わないだけで、そう思っている方は多いとおもいます。テレビからの報道しかみられないのでホントのことはどこまでわれわれが知っているのかわかりませんね。自衛隊2500人が土砂から亡くなった方を探す報道が毎日のように流れていますが、ホントはなくなった方より、生きていいる人の救助をしたほうがずーといいのにといつもテレビをみながらおもっています。でも、政治家や有名人がそんな発言をすると非難ごうごうなんでしょうね。そんな、日本は不思議な国だと思います。日本ではホントのことは公共的な場では言ってはいけないという社会性があるのでしょうね。そんな国なのにグローバル化に向かおうとするのが無理があるのだと思います。
〔この方への私の返信〕
「日本ではホントのことは公共的な場では言ってはいけないという社会性」。「言ってはいけない」という思い込みが「常識」になっていますね。私は思ったことをいつも言うもので、時々、物議をかもし、嫌われています。でも言いたいことを言うことで、自分の人生を生きられています。にもかかわらず、時に発言を躊躇する自分に気づいて自己嫌悪することもあります。まことに悩ましいです。
私は、「公共」という言葉が悪いように思います。「公」と「共」は、対立関係にあるように思うからです。あえて言えば、「公が共を抑える枠組み」が「公共」のような気がします。「公共発想の呪縛」からいかに自由になるかが、私の関心事の一つです。
〔私への再返信〕
共をほおっていくとろくでもない方向に進むかもしないので公が必要ですが、社会が成熟するに従い公が力を持ちすぎて、公と共の対立が始まるのでしょうね。・・・・話が長くなりそうなので、機会がありましたらまた、佐藤さんとお話が出来るときを楽しみにしています。
〔それへの私の再返信〕
いつでも歓迎です。「公」と「共」を考えるサロンをやってくれませんか。ちなみに、いささかややこしいですが、「官による公」と「共から生まれる公」とがあると私は思っているのですが、いずれにしろある種の緊張関係と支え合いの構造が必要だろうと思います。湯島のサロンは「共」の場ですが、100年後にはそこから生まれる「公」をイメージしています。

〔福島で働いている行政の方〕
ご意見につきまして、強く共感をいたします。申し上げたいことが多すぎるので、後日、お会いさせていただいた時に、たくさんお話をさせていただきたいと思います。
原発事故の被災地にて、行政の人間として働いております。

〔北九州の行政の方からの個別コメントの紹介〕
この記事に「発言」を引用させてもらった、行政職員の友人からメッセージをもらいました。その方が読んだらどう思うか、否定的に受け取られないか、気になっていましたが、真意を受け止めてもらえました。その上、現地でやってくることへの気づきまで得たと書いてきてくれました。ホッとしました。その方が何を得てくるか、とても楽しみです。その一方で、すでにそうした体験をした方がたくさんいるわけで、そうした情報は、私が知らないままに、行政の内部では集積されているのだろうなと気づきました。いずれにしろ、被災地での困窮に触れることで、日常時の地元の困窮への感度が高まることは間違いないでしょう。やはり、現場こそ最高の学び場ですから。

〔私からのこの記事へのコメントの紹介〕
この記事に関して、こんなメールをもらいました。
こんな意見もあることを、行政のみなさんにはぜひ知ってほしくて、紹介させてもらいます。
ほかにもいろいろと意見をもらいました。
以下、友人からのメールそのままです。

災害ボランティアに各県・市や日赤などから職員が派遣されますが、現地でも中間管理職的な位置づけとなり底辺で住民のためにと動くボランティアとは一線を画しているのが現実です。
一般の人が現地にボランティアで出かけるとボランティア受付で特技・職種などで振り分けられるものの泥や汚れと闘う底辺仕事ばかりとなりますが、公務員などの派遣職員は別格の扱いとなり現地でもあまり不自由さを感じないのではないかと、いつも不思議でなりません!せっかくの現場を体験するチャンスなのですが・・・・。(-_-;)
震災が全国で続いているのにもかかわらず、熊本での救援ボランティアセンターの立ち上がりは遅く、現場での混乱は理解できるものの、日頃訓練しているわりにはいざという時に役立たない社協というおかしな団体の構造の問題にも気づかされました。佐藤さんの発言は大いに支持します。

ほかにもあるのですが、多くのみなさんに読んでほしいものを選びました。
なお、いろんなやりとりの中で、少なくとも3人の方から話したいという連絡があったので、湯島で一度、サロンを企画したいと思います。
決まったらご案内させてもらいます。

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