■28年間、経営道フォーラムというプログラムに関わらせてもらっての感想
昨日は、椿山荘で、経営道フォーラムの発表会でした。
企業の不祥事が多かった1980年代、経営者に「経営の心と道」を学んでほしいという市川覚峯さん(現在は日本経営道協会代表)の思いから始まった「経営道フォーラム」というプログラムがあります。
市川さんの思いに共感して、そのプログラムに関わらせてもらってきましたが、昨日、58期の発表会を持って、私はコーディネーター役を辞めさせてもらうことにしました。
強い自責の念があります。
私のスタンスは、最初から全く変わっていません。
私が考える「経営道」とは生きる主軸を確立するということです。
「営み」の軸になるような「経」、つまり原理原則を大事にするということです。
平たく言えば、経営技術者や金銭管理者ではなく、主体性を持った人間になってほしいという思いです。
そのためには、自分の企業という「たこつぼ」から出て、広い世界を生きなければいけません。
そういう思いから、受講生のみなさんには、企業に使われるような経営者ではなく、企業を活かして、社会を豊かにしてくれる活動に目を開いてもらうような刺激を、ささやかに与えてきました。
その私の思いは、残念ながら果たせませんでした。
最近もまた、企業の不祥事が話題になっていますが、日本企業の経営者の多くは、企業を活かして社会を豊かにするどころか、企業に寄生して、社会をむしばんでいるような気さえします。
経営者だけではありません。
社会全体が、金銭利得に覆われてしまい、多くの人は「人間」であることさえ忘れかねているように思います。
そうした無力感から、辞めることにしたのです。
そして昨日は、椿山荘で最後の発表会でした。
最後は、とてもいいチームに恵まれ、その発表に対して、参加者が「静かな感動を受けた」と言ってくださるほどでした。
私も感動しました。
そして、もう少し続ければよかったかなという未練さえ感じました。
最後に、会場に向かって、いささか場違いな話もさせてもらいました。
広い世界を見てください。そうしたら企業を通してできることは山のようにあると話しました。
子どもの育ちの現場をもっと知ってほしいとも話しました。
ちょっと感情が入りすぎてしまい、伝わったかどうかは疑問ですが。
この数十年の経済学は、現場から離れた、演繹的な公理をベースにしたフィクションエコノミクスだと言われだしてからもう10年以上経過します。
私自身、会社時代からずっとそう思っていました。
経済学の前提にある公理は、私には非現実的なものばかりでした。
言葉と論理だけで、経済は日常生活とは、無縁な世界を構築し、企業はそこでのメインアクターとして、金融工学に基づいて、社会を市場化してきています。
汎市場化の中で、最近のオリンピック関連のさまざまな騒動に見られるように、スポーツも市場化されました。
環境や福祉の世界もまた、どろどろしたお金の世界になってきてしまい、本来的な環境保全や福祉はどこかに押しやられてしまいつつあります。
いまや経済は、生きた人間のための経済ではなく、死臭の立ち込めた市の経済になってきています。
改めて、生きた経済を回復しなければいけません。
経営学もまた、演繹起点の世界を構築し、企業から生きた人間を放逐しだしています。
それでは企業は元気になるはずはありません。
経営の基本は、生きた人間の無限の能力でなければいけません。
企業経営の要である、戦略も組織も、生きた人間が主役なのです。
それを忘れた企業は、単なる金銭増殖機械でしかありません。
感情が入り込んできて、少し書きすぎました。
経営道フォーラムのこれからに期待しています。
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