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2016/05/30

■節子への挽歌3192:75歳になってしまいました

節子
今日は私の誕生日です。
自分では確認したことがないのですが、どうもそうらしい。
それで今日は、メールやフェイスブックでいろんな方からお祝いのメッセージをもらいました。
節子からは祝ってもらえませんでしたが。

私も75歳になりました。
学生の頃は40代くらいで終わりたいと思っていました。
47歳で会社を辞めた直後、なぜか友人が大阪まで行って私の運命を勝手に占ってもらってきてくれました。
そうしたら私は93歳まで生きると言われたそうです。
言われたことは素直に信ずるのが私の性格ですので、気は進みませんでしたが、受け入れました。
この話は、節子もよく知っていることですが。
しかし、93歳までの長生きを喜べるのは、節子がいればこそです。
節子がいなければ、長生きは全く意味がありません。
言い方を変えれば、私の人生は、もう9年前に終わっているようなものかもしれません。

節子のいない人生は、長くはつづかないだろうとも思っていました。
でもなぜかまだ生きています。
節子を見送った後の数年は、生きているとは言えなかったかもしれませんが、最近はしっかりと生きている。
しかし、生きる張合いを見失ってしまっているのは、いまも同じです。

実は数年前に、3年ほどで終わりたいと決め、まわりの人にもそう言い続けてきました。
みんなに言っていれば、いつの間にかそれが事実になる。
それは私の体験知でもあるからです。
しかし、人生はなかなかうまくいかずに、勝手に死ねなくなりました。
私の不手際で、死ぬ前にやっておかねばいけないことが、いくつができてしまったのです。
それでついつい旅立ち時期を延ばしているうちに、まあいつでもいいかという気になってきました。

そもそもこだわるほどのことでもありません。
すべて決まっていることなのかもしれません。
できれば、しかし70代のうちに、みずからの意志で、現世を終われればと思っています。
自らの意志というと誤解されそうですが、念ずることで死期を悟り、その前日にお別れサロンをやって、快適に眠りについて、目を覚まさないというのが理想です。
しかし、それができるかどうか。
もしその力を習得できたら、その日が来たら、1週間前にこのブログで告知しようと思います。
一応、秋口を予定しています。
死は、秋にこそふさわしい、と私は思っているからです。
もし、その力を得なければ、ずるずると占いの通り、93歳まで旅立てないかもしれません。
それはいかにも長すぎます。

そんなわけで、誕生日は今年を最後にしたいと思っています。
でもまあ来年も、もし生きていたら、おめでとうメッセージが届くのでしょうね。
あんまりおめでとうとは思えないのですが。
困ったものです。

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