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2016年5月

2016/05/31

■節子への挽歌3194:75歳のはじまり

節子
75歳になった初日、都内の湯島から本郷のあたりを自転車で走ってみました。
文京区のシビックセンターに行く用事があったので、自転車で行くことにしたのです。
時々、自転車で走る道です。
ちょっと寄り道して、東大の赤門のほうにも行ってみました。
そこで東大生らしき女性が、なんと一輪車に乗って、赤門のほうに向かっていました。
都心の大通りを一輪車で渡る姿を始めてみました。
後をついていきたくなりましたが、ストーカーと間違えられるといけないのでやめました。
途中で交番に寄りました。
道を訊くためですが、以前、一度、同じように自転車で道に迷い交番に寄ったら、あまりに汚れた自転車に乗っていたためか、職務質問のようなことを訊かれて、自転車が盗品でないかどうか確認されたことがあります。
その時は結構面白かったのですが、後で考えたら少し腹が立ってきたことを思い出して、もう一度、やってみたくなったのです。
残念ながら、今回の相手は若い女性のお巡りさんで、完璧な対応をしてくれました。

走っている途中に、湯島の稲庭うどんのお店の女将さんに会いました。
以前はとてもおいしい懐石料理屋だったのですが、いまは仕出し中心になり、お店は稲庭うどんのカウンターになったのです。
私のオフィスの近くの実盛坂の階段の下にあります。
テレビでも放映されたからか、行列ができるようになっています。
うどん屋さんになってからは、ほとんど行ったことがないのですが、会うといつも挨拶をしてくれます。
まさか、本郷で会うとは思ってもいませんでした。
いつもにこにこしている人です。

途中でおなかがすいてきたので、どこかに入ろうかと思ったら、お金を持っていないことに気づきました。
50年前、レストランに入って食べ終わった後、お金がないのに気がついたことがあります。
1,2回しか行ったことのないお店でしたが、また今度でいいよと言われました。
むかしは、みんな人を信じあっていました。
いまはどうでしょうか。
これもやってみようかとも思いましたが、リスクが大きいのでやめました。
娘から、また職務質問されないようにと注意されてきていますので。

自転車で湯島に戻り、おなかがすいたままへとへとになっていたら、次の来客がなんと、ケーキを持ってきてくれました。
ローソクまでついていましたが、誕生日を祝われるのは好きではないと余計なことを言ってしまいました。
彼は、せめてありがとうくらいは言ってくれると思っていたのにと言うので、ありがとうとは言いました。
ケーキは美味しかったです。
甘すぎましたが。

まあこんな風に、75歳は順調に始まりました。
フェイスブックでは、まさかと思える人も含めて、たくさんのエールをいただき、日本はまだ老人を大切にする国だと知って、安心しました。

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■節子への挽歌3193:幸せと悲しみ

節子
昨夜、夢を見ました。
節子の夢ではありません。
私の両親の夢です。
両親が、私の孫に会いにやってきたのです。
墓前では報告はしていましたが、まさか会いに来るとは思ってもいませんでした。
それで気がついたのですが、節子はまだ会いに来ていませんね。

娘は、節子を見送った後、激しく後悔しました。
孫を見せてやれなかった、と。
妊娠した時、娘が仲良しの友人に話したところ、その友人は「おかあさんがいたらどんなに喜んだろう」と泣いて喜んでくれたそうです。
その話を聞いて、私も涙が出そうになりました。

娘たちが生まれた時の写真を、娘が引っ張り出してきたので、昨日見ました。
孫を抱いている母親がいました。
幸せそうでした。
節子はこの幸せには、出会えませんでした。

孫を産んだ娘は、誕生日前に大病をしました。
医師から見放されて、後は本人の体力の問題ですと言われました。
子どもを授かることは、幸せと同時に、時には悲しみも授かることです。
私たちは、目の前でどんどん衰弱していく娘を見ながら、その時、それを知りました。
私たちの祈りが通じたのか、娘は回復しました。
祈りが奇跡を起こすことも、その時、知りました。

節子を見送った時、奇跡は見事に打ち砕かれました。
人を愛することの幸せと悲しみも、残酷なほどに思い知らされました。
そこで少し私自身が変わったかもしれません。

両親がひ孫に会いに来たのに、節子は会いに来ないと思いましたが、それは間違いでした。
節子の位牌はわが家にあり、その前に何回か孫の顔見世をしました。
節子はもう会っていたのです。
抱けはしませんでしたが。
両親の墓前や位牌には、まだ孫は行っていません。
それで、両親が夢に出てきた理由を納得しました。

両親の夢を見たのは久しぶりです。
そういえば、節子は最近夢に出てきません。
困ったものです。

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2016/05/30

■節子への挽歌3192:75歳になってしまいました

節子
今日は私の誕生日です。
自分では確認したことがないのですが、どうもそうらしい。
それで今日は、メールやフェイスブックでいろんな方からお祝いのメッセージをもらいました。
節子からは祝ってもらえませんでしたが。

私も75歳になりました。
学生の頃は40代くらいで終わりたいと思っていました。
47歳で会社を辞めた直後、なぜか友人が大阪まで行って私の運命を勝手に占ってもらってきてくれました。
そうしたら私は93歳まで生きると言われたそうです。
言われたことは素直に信ずるのが私の性格ですので、気は進みませんでしたが、受け入れました。
この話は、節子もよく知っていることですが。
しかし、93歳までの長生きを喜べるのは、節子がいればこそです。
節子がいなければ、長生きは全く意味がありません。
言い方を変えれば、私の人生は、もう9年前に終わっているようなものかもしれません。

節子のいない人生は、長くはつづかないだろうとも思っていました。
でもなぜかまだ生きています。
節子を見送った後の数年は、生きているとは言えなかったかもしれませんが、最近はしっかりと生きている。
しかし、生きる張合いを見失ってしまっているのは、いまも同じです。

実は数年前に、3年ほどで終わりたいと決め、まわりの人にもそう言い続けてきました。
みんなに言っていれば、いつの間にかそれが事実になる。
それは私の体験知でもあるからです。
しかし、人生はなかなかうまくいかずに、勝手に死ねなくなりました。
私の不手際で、死ぬ前にやっておかねばいけないことが、いくつができてしまったのです。
それでついつい旅立ち時期を延ばしているうちに、まあいつでもいいかという気になってきました。

そもそもこだわるほどのことでもありません。
すべて決まっていることなのかもしれません。
できれば、しかし70代のうちに、みずからの意志で、現世を終われればと思っています。
自らの意志というと誤解されそうですが、念ずることで死期を悟り、その前日にお別れサロンをやって、快適に眠りについて、目を覚まさないというのが理想です。
しかし、それができるかどうか。
もしその力を習得できたら、その日が来たら、1週間前にこのブログで告知しようと思います。
一応、秋口を予定しています。
死は、秋にこそふさわしい、と私は思っているからです。
もし、その力を得なければ、ずるずると占いの通り、93歳まで旅立てないかもしれません。
それはいかにも長すぎます。

そんなわけで、誕生日は今年を最後にしたいと思っています。
でもまあ来年も、もし生きていたら、おめでとうメッセージが届くのでしょうね。
あんまりおめでとうとは思えないのですが。
困ったものです。

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2016/05/29

■節子への挽歌3191:障害夫婦

節子
昨日の「みんなのゆるカフェ」に、発達障害の人が参加してくれました。
彼からもらった資料の中に、発達障害の方が子ども時代のことを書いた文章がありました。
こんな文章です。

小学校時代、初めて日直を担当した時、「黒板を消しておいてね」という先生の言葉に戸惑い、1時間近く考えこんでしまった。どうやって「黒板を消す」のだろう? と。
とてもよくわかります。
この方ほど、優れてはいませんでしたが、私もそれと似た経験があります。
いまでも時々、とんでもない勘違いをしてしまって、ミスを犯してしまうことがあります。
世間的な常識や常識的判断思考は、かなり身についてきていますので、あまり問題は起こしませんが、時々、冷や汗が出るような勘違いがあるのです。
節子も戸惑ったことでしょう。

ちなみに、私の場合、「黒板を消しておいて」と言われたら、方法がわからないので、たぶんどうやって消すのですかと先生に質問するでしょう。
1時間悩む前に質問するのが、私のスタイルです。
ですから、とんでもなく簡単な質問を時々してしまうのです。
娘からも時々、ついていけないと言われますし、節子からはよく、私の発言は、冗談なのか本気なのかわからないといわれました。
しかし、私はいたって真面目なのです。

私はたぶん発達障害と診断はされないでしょうが、まあ似たようなものです。
そもそも人はみな、それぞれに世界が違いますし、時間感覚も違います。
「障害」は、誰でも持っています。
持っていなかったらおかしいでしょう。
ですから、一部の障害だけに、特別の名前を付けることには違和感があります。
それに「健常者」などという言葉を聞くと、それこそが「異常な障害者」ではないかと思えてしまうのです。
たぶん、私と節子は、世間的な常識からすれば、「障害夫婦」だったかもしれません。

娘たちも含めて、本当にたくさんの人たちに迷惑をかけて来たなと、最近つくづく思います。

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■ふたつの「みんカフェ」を開きました

新潟と東京で、それぞれ「みんなのゆる~いカフェサロン」、略して「みんカフェ」を開催しました。

新潟では8人の人が、東京では10人の人が参加しました。
新潟は準備会でしたが、福島から避難されてきている方がおふたり参加して下さいました。
話し合いの結果、正式に「みんカフェ・新潟」をスタートさせることになりました。
次回は7月7日です。

新潟につづいて、東京の湯島で「みんカフェ・湯島」を開催しました。
こちらは準備期間を経て、今年から公開スタイルで始めています。
銚子からわざわざ高速バスで2時間かけて参加してくださった若い女性の「仕事」への姿勢の話がとても私には興味がありました。
ちなみに彼女は内定が決まった就職先の「雰囲気」が自分に合わないと思って、入社を見合わせたのです。いま失職中のようです。
発達障害を公言しているNさんは、同日開催されている5つのイベントの中から、このサロンを選んで参加してくれました。
クリエイティブコモンズの話をしてくれましたが、
彼もまた、現在の金銭至上主義の経済や社会のあり方に居心地の悪さを感じて、お金を介さない生き方を志向しています。
朝から夜までかなりハードな仕事をしているSさんは、たぶん仕事を通じて、社会の実相を感じていると思いますが、今回もさわやかな笑顔で参加してくれました。
こうした若者たちの話を聞いていると、現代という社会の醜い面も素晴らしい面も見えてきます。

若者たちもまた、普段はあまり接点のない、年上の世代の人たちの本音の話に触れて面白かったと言ってくれました。
いつものサロンの常連もかなり参加してくれました。

私の思いは、みんなの喫茶店を実際につくれないかということです。
「こども食堂」や「ブックカフェ」もいいですが、「居場所カフェ」もいいです。
全国的に広がってきているコミュニティカフェよりももっとカジュアルな、かたちのないカフェです。
新潟の集まりに参加された製剤薬局の方は、自分の薬局でも開けると言ってくれました。
先日、私はわが家の庭でオープンカフェを開催しましたが、どこかの公園でもいいかもしれません。

そういう場所が増えれば、きっとみんな生きやすくなり、犯罪やヘイトスピーチなど減っていくでしょう。
今日の話を聞いていて、なんだかそんなことが実現できそうな気がしてきました。
もし一緒に取り組もうという人がいたらご連絡ください。
私はもうあんまり頑張れそうもありませんが。

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2016/05/28

■節子への挽歌3190:視界が変わると意識も変わります

節子
空き地になっていた隣に、家が建ち始めました。
境界ぎりぎりまでに家が建ちますので、これまで開けていた視界が見事に遮られてしまいます。
土地の段差があるのですが、ちょうど新築の家の2階が、わが家の庭の高さです。
ですからちょっと跳べば、隣家の2階の窓から侵入できそうな距離感です。
これまでの景観が一挙に変わってしまいました。
まあこれまでがあまりに幸運だったと言うべきでしょうが。

視界が変わると意識も変わります。
一番うっとうしいのは、カーテンをしめなくてはいけなくなったことです。
しめなくてもいいのですが、あまりにもよく見えるからです。
相手の住民にとっても、あまりに見えすぎるのは迷惑でしょうから。
庭の植え木の位置も変える必要がありそうです。
まあしかし、そのうち慣れるでしょう。

時々、わが家の庭にやってくる海津さんは、こういう高台から周囲を見ていると意識が変わるでしょうね、と言います。
日常的な視界は、すぐに慣れてしまうので、私自身はそういう意識を持ったことはありませんが、視界がさえぎられて数日を過ごしていると、海津さんの言葉に納得してしまいます。
そういえば、海津さんの家も高台でしたが。

物理的な視界と同じように、意識的な視界というものもありそうです。
私の視界は、あまり常識的でないかもしれません。
節子はたぶん、その私の視界の異質性に魅かれたのだと思いますが、私もまた、節子の視界との違いに魅かれた気がします。
同じものを見ていても、視界によって、その意味は大きく違ってきます。
私が節子から学んだことは少なくありません。

節子がいなくなって、視界はまた大きく変わりました。
そのため、しばらくはまっすぐに歩けないほどでした。
9年近くたつと、新しい視界に慣れてきます。
しかし、その、私の新しい視界は、いまなお揺らいでいます。
それに彼岸までさえ感ずるようになってしまうと、視座をどこにおいていいかさえ迷うこともあるのです。
他者の視座を、自分の視座に重ねることも、自然とできるようになってきました。
ですからますます視界は揺らぎます。

ちなみに、また隣家との関係の話に戻りますが、目の前で視界が遮られると、その手前の庭の様子がよく見えるようになります。
視界とは不思議なものです。
視界が開けていることが、多くのものが見える条件ではなさそうです。
だからこそ、視界によって、意識や行動が変わるのでしょうが。

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2016/05/27

■節子への挽歌3189:口に出した以上は守らなければいけません

節子
昨年11月に大阪でお会いした方からメールが来ました。
息子さんを自死で失くされた方です。
お会いしたのは、ある会だったのですが、ゆっくりお話しする時間がありませんでした。
その後、メールが届き、大阪に来た時にはぜひまたお会いしたいという内容でした。
私も、かならず連絡しようと思っていました。

しかし、不覚にも失念してしまっていました。
何回か大阪にも行きましたが、声をかけるどころか、申し訳ないことに忘れてしまっていたのです。
その方は、きっと私からの連絡を待っていたはずです。
立場によって、思いの軽重は変わります。
だからこそ、注意しなければいけないといつも心しているつもりですが、うっかりしてしまいました。

その方は、こう書いてきました。

教えて頂きたいことがあります。 「若者、その中でも学生」の自死者の多さに悲しい思いを抱いております。 「若者の生き辛さを、和らげるために、何をしたらよいのか」 何かヒントになる事(本、論文、ワークショップなど)を教えてください。 不躾な事をお願いして申し訳ありませんがよろしくお願いします。

こんなメールを書かせることになったことを恥じなければいけません。
連絡してくれないではないかという、その方の思いを背景に感じます。

口だけの人が多いのに、最近、いささか人嫌いになっているのですが、私自身もそうだったのです。
私が一番恥ずべきだと思っている生き方です。
口に出した以上は守らなければいけません。
不躾なのは、私自身です。
軽々に口には出せないですが、6月にはお会いしようと思います。
大阪に行く用事ができるといいのですが。

今日はもう一人、久しぶりに方からメールが来ました。
この方とも一度しか会っていませんが、明日の湯島のサロンに参加するという連絡です。
この方のことも気になりながら、いつの間にか忘れてしまっていました。
でも、みんなどこかで私のメッセージを受け止めてくれているのです。

感謝しなければいけません。

節子が元気だったころ、時々注意されていたことがあります。
付き合う人の数が多すぎるのではないか。
もっと一人ひとりとの付き合いを大切にしないといけない、と。
そうかもしれません。
しかし、そこに人がいたら声をかけたくなる。
その人に役立てることがあれば、役立ちたいと思う。
それは、人として、とても自然な生き方なのだろうと思います。
そして、時についつい忘れてしまうのも、また自然な生き方。
節子にも、そう言っていたのを思い出します。

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2016/05/26

■節子への挽歌3188:人は一瞬にして通ずることもある

節子
今日は新潟市でゆる~い集まりを開くというので、やってきました。
というよりも、気になっていた友人に会うのが主目的というべきでしょうか。
いつか新潟にも節子と一緒に来たかったのですが、かないませんでした。
人生は「かなわないこと」のほうが多いものですから、それは仕方がありません。
その友人もまた、最近、生きる意味を問い直させられるような、かなわぬことを体験したのです。

その友人は、この挽歌を読んでくださっているので、少し書きづらいのですが、読んで下さる人がいるということは、心して書かなければいけないということです。
しかし、私にはそれがなかなかできません。
困ったものですが、心せずに書きましょう。

今日の会の目的は、表向きにもいくつかの欲張った目的があったのですが、それは予想以上にうまくいきました。
新しい会も始まりそうです。
私がもう来なくても、たぶん持続できる仕組みがつくれそうです。
市役所の知り合いのメンバーにも挨拶にいけました。
新潟にやってきた目的は、すべて果たせました。
企画した、もう一人の友人も満足してくれているでしょう。
そのはずでした。
でも何かが不足していて、ちょっと疲労感に襲われそうでした。

駅のすぐ近くのお店で食事をしていたのですが、
新幹線の時間が来たので、私だけ抜けさせてもらいました。
会いにきた友人が、一人で新幹線の入り口まで送ってきてくれました。
そして、歩きながらのわずかな時間に、心情を吐露してくれました。
そのわずか1分で、新潟に来てよかったと思いました。ー
何が不足していたかがわかりました。
私が、なぜ新潟にやってきたかも、改めて思い出しました。
握手嫌いの私が、思わず手を出してしまいました。
友人に感謝しなければなりません。

人が理解しあうには、時間は無縁です。
一瞬にして通ずることがある。
ただし、お互いに生きることの意味を考えた体験があればですが。
ちなみに、それは解のない問題なのですが。

人は、それぞれ重荷を背負っていますが、それを肩代わりすることはできません。
でもその重さを感じながら、思いを重ねることはできるかもしれません。

新幹線に乗って、もらってきたおにぎりを食べました。
今日は2人の友人に、お昼も夕食もご馳走になってしまいました。
美味しいお魚やお肉を満喫させてもらいましたが、
一番おいしかったのは、このおにぎりでした。
涙が出そうなほど、おいしいおにぎりでした。

上野まで熟睡できそうです。

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2016/05/25

■節子への挽歌3187:自然との交流日

節子
庭の池に金魚を買ってきて放しました。
すべてガマガエルに食べられてしまったので、しばらくだれも住んでいなかったのですが、ボウフラが湧くと悪いので、その対策です。
うまく育つといいのですが。

庭の手入れが行き届かないおかげで、庭の周辺の雰囲気が私好みになってきました。
草が池を覆い、いかにも自然な感じです。
蓮まで生えています。
いまの状況だとカニも棲みついてくれるかもしれません。
しかし逆にガマガエルもまた棲みつきやすい感じです。
網を張ればいいのですが、それでは自然らしくありません。
さてどうしたものか。

いずれにしろ今年はどこかから、カニを見つけてこようと思います。
自然のカニを採取するのはなかなか難しいですが、どなたか生息地をご存じであれば教えてください。
大事に育てますので。

ところで今日、庭に金魚を放す時に、小さなカマキリが池でおぼれていました。
うまく救い上げましたが、カマキリの子どもがいるということは、庭でたくさんのカマキリが孵化したということです。
なにしろカマキリは一挙にたくさんが孵化するので、それはそれは見事なのです。
しかしちょっと周辺を捜しましたが、見つかりませんでした。
探し物が見つからない庭というのは、私の理想です。

それにしても自然は面白いです。
毎日変化しています。
自然そのものが、まさに大きな生物なのでしょう。
そう考えると、私もまた、その一部でしかないのです。
個体の生き死になど瑣末な話なのかもしれません。
自然と触れ合っているとそんな気になってきます。

夕方、畑にも行ってみました。
数日間不在だったので、放置しっぱなしでしたが、野菜があまり元気でない一方、野草はすごく元気です。
草刈りを後回しにしていたところは、驚くほどの繁茂です。
立った数日で様相は変わってしまうのです。
草を食べてくれる羊を飼いたくなる気分です。

今日は、眼医者が休診だったので、自然と触れ合うことで、目を治すことにしましたが、残念ながらやはり治りませんでした。
困ったものです。

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■「みんカフェ」を一緒に広げませんか

いま、仲間と一緒に「みんなのゆる~いカフェ」(略称「みんカフェ」)をはじめています。
目的は、「誰でも、そこに行くと自分の居場所がみつかるような場所」をつくり、そこに居合わせた人たちの「ゆるやかなつながり」を育てていくことです。
そうした場や活動を各地に広げ、それらをゆるやかにつないでいき、時には交流できるようにしていければと思っています。
自分の居場所をつくっていくことも含めて、この主旨に共感してくださった人たちと一緒に、取り組みだしています。
15年前から取り組んでいるコムケア活動や27年前からの湯島のサロンも、こうした思いで展開してきていますが、そういう集まりにもちょっと敷居が高いという人もいますので、ただただ居場所があればいいというだけの人も大歓迎のカフェです。
子どもも来ることがあるので、珈琲だけではなくジュースも用意しています。

明日、5月25日には新潟で、その準備会的なカフェをやります。
また28日には、東京の湯島でもあります。
あまり公開していませんでしたが、直前ですが、ご案内します。
気分が向いたらご参加ください。
また、こんな活動を一緒に始めたいという人がいたら、ぜひご連絡ください。

◆「みんカフェ・新潟」準備会のご案内
日時:5月26日(木曜日) 午後1時30分~3時30分
場所:関屋地区公民館(バス:関屋昭和町下車)
会費:500円
事務局:ささえあい・新潟(金田英一 kaneda-ei@nyc.odn.ne.jp)

◆「みんカフェ・湯島」のご案内
日時:5月28日(土曜日) 午後1時~3時
場所:湯島コムケアセンター
http://homepage2.nifty.com/CWS/cccentermap.pdf
事務局:阿部(090-2744-6184) 佐藤(qzy00757@nifty.com)

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2016/05/24

■節子への挽歌3186:「命に嘘をつくな!」

節子
最近、いろんな症状が出てきたので、今日はいろいろとお医者さんに行く予定だったのですが、3日間、京都、滋賀、福井とで回ってきた疲れのせいか、それも面倒になってしまい、義姉からもらってきた黒にんにくとアリナミンの錠剤とリポビタンゴールドといろいろ飲んで問題を解決することにしました。
しかし、夕方、やはり遠藤クリニックに行くことにしました。
やはりあんまり調子が良くないからです。
それに、最近は降圧剤もきちんと飲んでいるので、遠藤さんに叱られることはないのです。
血圧を測ったら、下は80以下、上も140でした。
ちゃんと薬を飲んでいれば大丈夫なんだから、ちゃんと飲んでくださいと言われました。
ついでに喉の調子を見てもらったら、風邪かもしれないのでとまた薬を2種類くれました。
素直ではないと思いますが、まあ素直に1日は飲んでみようと思います。
遠藤さんには、節子もお世話になったのです。

実は、今日は最優先は眼科だったのです。
かなり危うい状況が時々起るのですが、いまは「意志」の力で対応しています。
もともと私は視力が弱く、もう少し目が良ければ読書も楽なのですが、午前中は目がうまく作動しないのです。
病気なので治せばいいだけの話ですが、眼科とは相性が悪いのです。
困ったものです。
明日はできれば行こうと思いますが、またいつものように先延ばししてしまうかもしれません。
節子がいなくなった後、どうも「生命を大事にする」という発想がなくなっています。

いま、テレビ東京系で『ドクター調査班~医療事故の闇を暴け~』という連続ドラマがあります。
1回目を偶然見たのがきっかけで、つづけて見ています。
そのドラマで、谷原章介演ずる主役が毎回見せ場で言うセリフがあります。
「命に嘘をつくな!」です。
そのセリフが心に響いて、退屈しながらもずっと見ているのです。

命に嘘をつくなとはどういう意味でしょうか。
命に素直に従えということでしょうか。
もしそうであれば、私はいま、かなり命に素直に生きているつもりです。
節子に無理をさせてしまったことが、いつもちょっと心に残っているからです。
しかし、命に嘘をつくなという意味は、まだよくわかっていません。
その意味を考えながら、今日もこのドラマを見ました。
医者に行くのは、素直ではないかななどと思いながら。

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■話し方と生きる姿勢

舛添都知事が政治資金がらみで世間の糾弾を受けていますが、こんな瑣末な事件で報道が覆われることが残念です。
いかにも瑣末な事件で、どうでもいいようなことをあれやこれやと報じています。
舛添さんが、こういう人であることなど、周辺の人はみんなわかっていたでしょうし、周囲の人でない私でもわかっていたことなので、その気になれば誰もが事前に知ることができたはずです。
こういう話があまりに多すぎます。

それはそれとして、舛添さんの記者会見を見ていて、改めて気づくのは、どうして主体的に話ができないのだろうかということです。
舛添さんに限りませんが、この種の記者会見で使われるのは、「…したいと思います」という表現や「ご心配をかけました」という表現です。
いずれもどこか他人事の言い方です。

「…したいと思います」というのは、願望と意向を述べただけの二重に逃げた表現です。
なぜ「…します」と言い切れないのか。
こういうところに、その人の生き方が伝わってきます。
「…したいと思います」というような表現をする人は、自分を生きている人ではないと私はいつも考えています。
そんな人は組織のリーダーにはなるべきではありませんし、なれません。
リーダーは「…する」と言わなければいけません。
せめて「…しよう」でしょう。
そう言えるリーダーがいない組織は、みんなが寄生している組織ですから、原子力ムラのように、いつか破綻するまで群がった人たちに善良な人が犠牲にされるための仕組みになってしまいます。
そういう組織がなんと多いことか。
組織には、人を活かす組織と人を殺す組織があるようです。

話し方には、その人の生き方が現れます。
私は一人称自動詞でできるだけ語ろうとしていますし、そこに曖昧な「…したい」とか「思います」とかいう余計な逃げ口上はできるだけ入れないようにしています。
したければすればいいですし、思うのであれば、これまた行動すればいいだけの話です。

同時に口に発した言葉は、大事にします。
舛添騒動から学ぶことはたくさんあります。

もうひとつ確信が深まったことがあります。
他者への批判の多くは、みずからにも当てはまることであるという仮説です。
誰かを批判する人の話を聞いていると、多くの場合、その人にもかなりあてはまることがあります。
舛添さんがやってきていることの多くは、これまで舛添さんが批判していたことと重なっています。
自分がやっているからこそ、他者のそうした行動が見えていたのでしょう。
批判というものは、いつもみずからにも向かっていることを、改めて確信しました。

ということは、ここで私が書いたこともまた、私にも向けられているということです。
正直、そんなことはないと言いたいのですが、たぶん否定はできないのでしょう。
「…したいと思います」という表現こそ、気をつけていますが、私もきっと逃げ口上を使いながら生きているのでしょう。
気をつけなければいけません。

こう考えてくると、世の中に批判したくなることが多いということは、自らの生き方もまた劣化しているということになります。
批判する前に自省せよ。
それを指針としてしまったら、時評が書けなくなってしまいました。
さてさて困ったものです。
ここから抜け出さなくてはいけません。

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2016/05/22

■節子への挽歌3185:久しぶりの西福寺

節子
西福寺に行ってきました。

敦賀の西福寺は、私の好きなお寺のひとつです。
訪れる人がそう多くはないため、観光寺院になっていないのが気にいっています。
しかしここはかつては「腰の秀嶺」と言われた勅願寺なのです。

節子とは何回か来ていますが、節子がいなくなってからも一度来ました。
その時は、回廊の工事をやっていました。
この回廊は極楽浄土への往生路ともいわれていますが、実際に歩けます。

阿弥陀堂では何かの法要が、また書院では句会が行われていました。
庭でも何かの集まりがあったようで、席がこしらえてありました。
西福寺は、いまなお地元住民たちとしっかりつながっていて、生きた空間であることを感じます。
観光寺院には、そういうやさしさを感ずることは少ないのですが。

本堂には法然聖人の坐像はありますが、残念ながら本尊はありません。
須弥壇の四方の柱に、四天王の名前が書かれた紙が無造作に貼られています。
それがまた実にいいのです。

西福寺には山門の前に総門というのがあり、なぜかその門の中の両側にベンチがあります。
西福寺に来る前に立ち寄ったケーキ屋さんで買ったケーキをそこでたべることにしました。
姉はお寺で食べようと言ったのですが、いささか不謹慎ではないかということになり、そうなったのです。
門の前を通る人には異様な光景だったでしょう。

その後、庭を見せてもらったのですが、お茶とお菓子までいただきました。
門のところで食べるよりも、書院の縁側で庭園を見ながら食べればよかったです。
でもまあお寺の門で3人並んでケーキを食べた体験も忘れられない記憶になるでしょう。
節子は彼岸で笑っていたかもしれません。

庭でやっていたのは、芭蕉の弟子の曽良の命日にちなんだ「五月雨忌」だと知りました。
曽良はここに立ち寄ったのだそうです。
雨が降らない時には、外で営まれるのだそうです。

西福寺も、たぶん今回が最後でしょう。
そう思って今日は庭園も一回りしてきました。

201605


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■節子への挽歌3184:余呉湖から敦賀に来ました

京都から敦賀に立ち寄ることにしました。
久しぶりに節子の生家のある高月を北陸線で通過しました。
この辺りは大きく変わってきています。
ぼんやりと車窓から眺めていたら、余呉湖が見えてきました。
急に節子との最後の旅行を思い出しました。
記憶違いかもしれませんが、あの時、余呉湖に寄ったような気がします。
余呉湖は神秘的な湖で、時に湖底から声が聞こえてきそうですが、私たちが行った時には、誰もいない季節で、いつも以上に哀しさがありました。
その余呉湖が、遠くにかすかに見えました。

Photo

北陸線にはたくさんの思い出がありすぎるのです。

敦賀に着いた時にはもうすっかり暗くなっていましたが、節子の姉夫婦が駅まで迎えに来てくれていました。
とても仲のいい夫婦で、節子はいつもあの夫婦こそ幸せなのではないかと言っていました。
お金には無頓着で、さほど多くはないだろう収入はきちんと生活を楽しむためや友人知人のために使っています。
貯蓄をするなどという発想はあまり感じません。
ささやかな喜びを、素直に満喫できる人たちです。
人の世話が大好きですし、自分のものを人にあげることにも何の抵抗もないタイプです。
私の好きなテレビ番組「小さな村の物語」に出て来る人たちのような、生き方なのです。

2人の生き方には教えられることが多いのです。
時に私自身の生き方の卑しさを思い知らされることもあります。

敦賀の義姉夫婦の家に来るのは3年ぶりかもしれませんが、なぜか家に着くとホッとします。
どこかに節子がいるような気さえするのです。

その姉夫婦にも、いろいろなことが起こっています。
人生には、いろいろあります。
遅くまで3人、いや節子も入れて4人で話しました。
そのせいか夜はぐっすり眠れました。

今日は3人で、今庄で開催されているそば祭りに行くことになりました。
私が来ると、いつも私のためにすべての用事をやめて、歓待してくれるのです。
それもまた私にはできないことのひとつです。
豊かに生きている人は、何が大切かを知っているのです。

これから出かけます。
今日は夏のように暑くなりそうです。


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2016/05/21

■節子への挽歌3183:生命に勝るものはない

今日は宇治で開催されるNPOの総会に出席するため宇治に向かっていますが、早く着いたので、途中にある東福寺に立ち寄りました。
東寺の空海の仏像曼荼羅に寄ろうと思っていたのですが、朝、駅まで送ってくれた娘が東福寺の庭を勧めてくれたのです。
前から行きたかったところなので、趣向を変えて、新緑を楽しむことにしました。
京都に着いたら、夏のような雰囲気です。
いつも感じますが、京都駅の賑わいはどこかにハレの気分がいつも漂っています。

東福寺の塔頭のひとつの霊雲院が娘の推薦でしたが、残念ながら工事中で公開していませんでした。
そこで本山の東福寺の方丈庭園で休むことにしました。

途中、これも有名な通天橋を渡りましたが、あふれるような新緑に圧倒されました。
東福寺は紅葉で有名ですが、新緑の季節も素晴らしいです。

方丈庭園は、しばらく座っていましたが、うまく受け止めることができませんでした。
今の私は、もっとシンプルなほうが浸れます。
いや、そもそも石庭がダメなのかもしれません。
特に今回は、直前に心身いっぱいに受けた、新緑のみずみずしい生命のあたたかさの余韻があまりにも強すぎたせいかもしれません。
生命に勝るものはないと、改めて感じました。
今の私は、どうも生命のやわらかさに飢えているようです。

今年の夏は、季節を楽しめるかもしれません。


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■節子への挽歌3182:久しぶりのおにぎり

この2日間、ちょっと時間に追われてしまい、挽歌を書かずに過ごしてしまいました。
挽歌は朝のルーティンにしようと思いながらも、なかなか定着しません。
今日からまた京都と福井に出かけるので、書けないかもしれないので、新幹線のなかで書いています。
ネットがつながっていないので、いつ投稿できるかわかりませんが。

今朝早く家を出ました。
節子がいた頃と同じで、娘におにぎりをつくってもらいました。
娘のおにぎりは大きいので、小さ目にしてもらいましたが、新幹線でおにぎりを食べるのは久しぶりです。
娘は京都の駅ビルにあるお店を勧めたのですが、私は時間とお金の節約のため、おにぎりを頼んだのです。
ところが、早く目が覚めてしまったので1時間も早く家を出てしまいました。
それで京都に着くのが11時になってしまいました。
それに気づいたのは、新幹線に乗ってからです。
さてどうするか。

京都では会場に行く前に東福寺に寄ろうと思いますが、お寺の庭園でおにぎりを食べてもいいのでしょうか。
そんなことを考えているうちに、若い頃、節子と一緒にお寺回りをしていた頃、いささか不謹慎なことをしていたことを思い出しました。
節子は最初はともかく真面目で融通のつかない人でしたから、仏様の前で手を叩くことさえ注意されました。
今度来た時まであるかどうかと賭けをして、こっそり須弥壇の角にコインを隠したりした程度のことですが、まあちょっとここには書きにくいこともないわけではありません。

当時の節子は、歩きながら物を飲食することには大きな抵抗を持っていました。
八百屋さんでリンゴを買って歩きながらそれを食べたときには、東京の人はそんなことをするのかと驚かれました。
当時は、そんな時代でした。
一緒に暮らしだした頃の私たちはお互いに文化が違いました。
それがとても楽しかったのです。

私は社会から少し脱落した部分があり、常識がかなり欠落していました。
節子も同じようなものでしたが、しつけられた常識には呪縛されていました。
私とは結婚観も全く違いました。
にもかかわらず、結局、私のスタイルについてきてくれました。
常識の呪縛を離れる魅力には勝てなかったのでしょう。
しかし、そのおかげで苦労したはずです。
それもしかし、楽しい苦労だっただろうなといまは思えます。
飛鳥大仏との約束は破ってはいませんし。
すみません。これは節子と私だけが知っていることなのですが。

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2016/05/18

■節子への挽歌3181:人の縁の不思議さ

節子
久しぶりに佐々木さんが湯島に来ました。
愛犬のミホを見送ってから初めてお会いするのです。
一見、変わりはないようですが、どこか違います。
私自身のことを思い出しながら、いろいろと話しました。
私がそうであったように、こういう時には引き出さないといけません。
余計なお世話をしたくなりました。
私がそうであったように、たぶん「迷惑」に感ずるでしょうが。

人の縁は不思議なものです。

節子を見送った後、ひきこもりそうだった私をひっぱり出してくれたのは、私の友人たちです。
それも、とても意外なのですが、必ずしも親しかった人でもなく、湯島によく来ていた人でもありません。
もちろん、たくさんの言葉を与えてくれた人でもありません。
口数の多い人よりも、口数の少ない人の方が、私を引き出してくれたのです。
人の真実は、言葉にではなく、行動にあります。
いや、行動ではなく、存在にあるのかもしれません。
それも、ある一瞬の出会いに象徴される、記憶の存在にあるのかもしれません。

節子の葬儀に遠くからやって来てくださった方もいれば、わざわざわが家に献花にまで来てくださった方がいます。
とりわけいまも印象に残っているのは、病気で社会の主流から外れ、そのため、家族さえも壊れてしまったおふたりの男性です。
私は、何の役にも立てませんでしたが、ある偶然の出会いから、交流が始まりました。
どこか気持ちが通じ合えたのかもしれません。
庭に献花台をつくった時に、思ってもいなかったその人たちが、来てくれたのです。
経済的にとても大変なはずなのに、大きな花束を持ってきてくださったのを見た時のうれしさを、いまもはっきりと覚えています。
そういう人たちのおかげで、私は、引きこもりに向かわずに済んだのかもしれません。

このおふたり以外にも、いまはもう交流がなくなってしまった人もいますが、私を元気づけてくださった人たちがたくさんいます。
遠くからわが家の庭の献花台に献花して、挨拶もせずに帰ろうとした人もいます。
お恥ずかしいことながら、私もその人とは一度しかある集まりでしか会ったことがなく、顔を覚えていなかったので、危うく気づかないところでした。
彼女は、赤ちゃんを亡くした悲しみを克服する活動に取り組んでいました。
その活動を、ほんのちょっとだけ私は応援したのですが、それだけのことで、わが家まで足を運んでくれたのです。

人の心の繋がりは、付き合いの長さや交流の深さや利害関係とは無縁なのかもしれません。
節子を見送った後、私はたくさんの人たちに支えられていました。
あの人たちはいまはどうしているでしょうか。
そういえば、その後、交流の途絶えた人も少なくありません。
恩送りが私の生き方ではありますが、ちょっと気になりだしました。

まさかこの挽歌を読んではいないでしょうが、もし読んでいたらご連絡ください。
ご本人であれば、たぶん心当たりがあるでしょうから。
私もまた連絡を取ってみようと思いますが。

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2016/05/17

■節子への挽歌3180:頭痛がなおりません

節子
昨夜は帰宅途中に地震が発生し、電車が1時間以上も遅れました。
帰宅したのは深夜12時近くになりました。
最近はこうした異常体験も、楽しむよりも疲れに負けてしまっています。
今日はその疲れが抜けずに、いました。
頭痛が抜けないのです。

まあ、この歳になると、心身の不調がいろんなところで起こるのは自然の摂理です。
身体の老化は自然と進むとしても、意識はなかなかそれについていけません。
ですから、身体が意識に向けて、気づかせるためのシグナルを出してくれるのでしょうが、それをなかなか素直に受け入れないのが、また意識です。

昨日、久しぶりに会った風早さんが、私を見て、大丈夫ですと断言してくれました。
風早さんは、他者の健康状況をしっかりとみていて、お医者さんよりも早く、病状を指摘したことも少なくありません。
節子をなくした後の私は、見るに堪えなかったようですが、最近は私に会うたびに、大丈夫と太鼓判を押してくれるのです。
しかし、風早さんから太鼓判を押してもらっても、疲れる時は疲れます。
そして、疲れが翌日にまで持ち越されるのです。

今日は、やらなければいけないことがいろいろとあったのですが、すべてを辞めてしまいました。
疲れた時には休まなければいけません。

休んでいるうちに、気づいたことがあります。
昨日のこと、つまり最後の経営道フォーラムの発表会のことをフェイスブックに書いたのですが、いろんな人がコメントをくれました。
長いことお疲れさまでした、と言うコメントも少なくありませんでした。
私のように周辺の影響を受けやすいタイプの場合、「お疲れさまでした」といわれると、素直に疲れに気づくのかもしれません。
意識は、自分のものであって自分のものではないのです。

「疲れ」とはいったい何なのか。
なぜ電車の渋滞が長引くのかという問題の究明とともに、疲れの原因と解決策の究明が、今日の課題だったのですが、1日じっくりと考えたので、ほぼいずれも解明しました。
それで、今日はゆっくり眠れそうです。
頭痛は少しまだ残っていますが。

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■28年間、経営道フォーラムというプログラムに関わらせてもらっての感想

昨日は、椿山荘で、経営道フォーラムの発表会でした。
企業の不祥事が多かった1980年代、経営者に「経営の心と道」を学んでほしいという市川覚峯さん(現在は日本経営道協会代表)の思いから始まった「経営道フォーラム」というプログラムがあります。
市川さんの思いに共感して、そのプログラムに関わらせてもらってきましたが、昨日、58期の発表会を持って、私はコーディネーター役を辞めさせてもらうことにしました。
強い自責の念があります。

私のスタンスは、最初から全く変わっていません。
私が考える「経営道」とは生きる主軸を確立するということです。
「営み」の軸になるような「経」、つまり原理原則を大事にするということです。
平たく言えば、経営技術者や金銭管理者ではなく、主体性を持った人間になってほしいという思いです。
そのためには、自分の企業という「たこつぼ」から出て、広い世界を生きなければいけません。
そういう思いから、受講生のみなさんには、企業に使われるような経営者ではなく、企業を活かして、社会を豊かにしてくれる活動に目を開いてもらうような刺激を、ささやかに与えてきました。

その私の思いは、残念ながら果たせませんでした。
最近もまた、企業の不祥事が話題になっていますが、日本企業の経営者の多くは、企業を活かして社会を豊かにするどころか、企業に寄生して、社会をむしばんでいるような気さえします。
経営者だけではありません。
社会全体が、金銭利得に覆われてしまい、多くの人は「人間」であることさえ忘れかねているように思います。
そうした無力感から、辞めることにしたのです。

そして昨日は、椿山荘で最後の発表会でした。
最後は、とてもいいチームに恵まれ、その発表に対して、参加者が「静かな感動を受けた」と言ってくださるほどでした。
私も感動しました。
そして、もう少し続ければよかったかなという未練さえ感じました。

最後に、会場に向かって、いささか場違いな話もさせてもらいました。
広い世界を見てください。そうしたら企業を通してできることは山のようにあると話しました。
子どもの育ちの現場をもっと知ってほしいとも話しました。
ちょっと感情が入りすぎてしまい、伝わったかどうかは疑問ですが。

この数十年の経済学は、現場から離れた、演繹的な公理をベースにしたフィクションエコノミクスだと言われだしてからもう10年以上経過します。
私自身、会社時代からずっとそう思っていました。
経済学の前提にある公理は、私には非現実的なものばかりでした。
言葉と論理だけで、経済は日常生活とは、無縁な世界を構築し、企業はそこでのメインアクターとして、金融工学に基づいて、社会を市場化してきています。
汎市場化の中で、最近のオリンピック関連のさまざまな騒動に見られるように、スポーツも市場化されました。
環境や福祉の世界もまた、どろどろしたお金の世界になってきてしまい、本来的な環境保全や福祉はどこかに押しやられてしまいつつあります。
いまや経済は、生きた人間のための経済ではなく、死臭の立ち込めた市の経済になってきています。
改めて、生きた経済を回復しなければいけません。

経営学もまた、演繹起点の世界を構築し、企業から生きた人間を放逐しだしています。
それでは企業は元気になるはずはありません。
経営の基本は、生きた人間の無限の能力でなければいけません。
企業経営の要である、戦略も組織も、生きた人間が主役なのです。
それを忘れた企業は、単なる金銭増殖機械でしかありません。

感情が入り込んできて、少し書きすぎました。
経営道フォーラムのこれからに期待しています。

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■子どもシリーズカフェサロン「なぜ私は〈ママと子供の無料パソコン教室〉をやっているのか」のお誘い

今回のコムケアサロンは、少しスタイルを変えて、東京の練馬区で、主に母娘対象に地域活動に取り組んでいる、ひだまりサロン主宰者の日高正晃さんに、ご自身の生い立ちからいまの活動、そしてこれからの活動への思いを語ってもらいながら、少しナラティブなサロンを企画してみました。
「ナラティブ」とは聞きなれない言葉かもしれませんが、「自らの物語(マイストーリー)を語る」というような意味です。
昨今は、ともすれば社会に流されて、誰かの物語に合わせてしまう生き方が広がってしまっていますが、そういう生き方が増えてきてしまったために、社会はおかしくなってきているのではないかという気がしています。
みんながもっと自分の思いや生き方を大切にし、自らの物語りを語りだすことで、社会はもっと住みやすい方向に変わるのではないか。
コムケアのサロンを重ねてきて、最近、改めてそう感じています。
そこで、自らの活動を物語ってもらうサロンを時々開催することにしました。
今回は、子どもシリーズの一環でもありますが、併せてナラティブ(マイストリー)サロンの1回目でもあります。

これを企画したのは、ひだまりサロンの日高さんが私に自らの生い立ちといまの活動、そして、いま気づきだしたことを、話してくれたことが契機です。
最初は、それをどう消化すべきか整理できなかったのですが、整理する必要もなく、むしろ日高さんにそのままの話をしてもらうだけで、参加した人はそれぞれに大きな気づきをもらえるのではないかと気づきました。

日高さんは現在、ご自身が主宰する「ひだまりサロン」を拠点にして、女性、特にママと女の子のITスキルアップとITを活用した理系教育などの活性化を目指した活動に取り組んでいます。
ひだまりサロンの「ママと子供のパソコン勉強会」のサイトを見てもらえれば、その楽しそうな活動のプログラムがご覧になれます。
http://hidamari-salon.jimdo.com/
しかし、そうした楽しそうなプログラムには、日高さんの大きな思いが込められています。

たとえば、中国から帰化してから離婚されたシングルマザーと小さい女の子、DV被害のママと女の子。
友達が出来なくて、欲しいものが買えなくて、行きたいとこに行けなくて、でもいつも笑顔。
そういう子が内心どういう気持ちかが手に取るようにわかる気がすると日高さんは言います。

みんな貧しい。
交友関係も少なく、頼れる人も少ない。
だから将来稼げるように、学校の勉強を補完するように、ICTやサイエンスの実践的活用知識を楽しみながら身につけてもらおうというのが日高さんの構想です。

でも、それだけでは十分ではない。
そういう人たちが一緒に加われるような経済基盤ができないものだろうか。
日高さんの、今年の課題は、彼女たちの生活基盤が安定するように、彼女たちが在宅で安全に稼げる事業を、彼女たちと一緒になって開発していくことです。

そんな話を生々しく語ってもらいながら、できれば参加した私たちも、日高さんと一緒になって、新しい事業づくりの方策を考えられないかと思っています。
いつものように、さまざまな立場のみなさんの参加をお待ちしています。

●日時:2016年6月18日(土曜日)午後1時半~4時
●場所:湯島コムケアセンター
http://homepage2.nifty.com/CWS/cccentermap.pdf
●テーマ:「子どもたちが危ない!」
●話題提供者:日高正晃さん(ひだまりサロン主宰)
●進め方:前半の1時間で日高さんからの話題提起(勉強会の内容も話してもらいます)を受けて、後半ではみんなで話し合うスタイルです。
日高さんへのアドバイスもお願いしたいです。
●参加費:500円
●申込先:comcare@nifty.com

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2016/05/16

■節子への挽歌3179:最後の椿山荘

節子
今日は、椿山荘で、経営道フォーラムの発表会でした。
節子も知っているように、このプログラムに関わってからもう28年になります。

このプログラムの最初の期のパネルディスカッションに呼ばれたのが縁で、立ち上げた市川覚峰さんとの付き合いが始まりました。
いつの間にか、そのプログラムの設計に関わったりしているうちに、コーディネーターも引き受けてしまい、気がついたら28年です。
企業の不祥事をなくしたい、経営者に「経営の心と道」を学んでほしいという、市川さんの思いに共感したのです。
途中で、肝心の市川さんが、このプログラムから抜け出して比叡山で得度したのですが、その得度式にも行きました。
高野山の断食明けには、節子と一緒に高野山の宿坊に留まって、行明けの護摩だきにも同席させてもらいました。
節子が旅立った翌日には、どこで知ったのか、市川夫妻はわが家に来てくれて、枕経をあげてくれました。

経営道フォーラムそのものを通しても、さまざまな人と出会いました。
企業の経営者を育てるのが目的でしたので、たくさんの社長も輩出しています。
昨日も、古い卒業生でいまは社長になっている人が来てくれていました。

私のスタンスは、最初から全く変わっていません。
経営道という言葉に込められているように、経営者としての心と道に、ささやかながらも刺激を与えることです。
企業に使われるような経営者ではなく、企業を活かして、社会を豊かにしてくれる活動に目を開いてもらうような刺激です。
平たく言えば、経営技術者ではなく、主体性を持った人間になってほしいという思いです。
そのためには、「たこつぼ」から出て、広い世界を持たねばいけません。
演繹的な公理をベースにしたフィクションエコノミクスから抜け出して、生きた経済人にならなければいけません。

その私の思いは、残念ながら果たせませんでした。
最近の日本企業の経営者の多くは、企業を活かして社会を豊かにするどころか、企業に寄生して、社会をむしばんでいるような気さえします。
それで、私も自らの責任を感じて、辞めることにしたのです。
ですから、今日は、最後の発表会だったのです。
最後は、とてもいいチームに恵まれ、参加者が「静かな感動を受けた」と言ってくださるほどでした。
もちろんほめられたのはチームメンバーであって、私ではないのですが、私もとてもうれしい思いでした。

この後、最後の修了式とパーティがありますが、修了式は参加せずに、せっかくなので、椿山荘ホテルのカフェで休むことにしました。
窓の外には日本庭園と三重塔が見えています。

こうして一人で、ぼんやりと外を見ていると、いろんなことが去来します。
暗くなってきたので、お店の人がキャンドルをテーブルに置いてくれました。
炎は人を幽界に誘い込みます。
久しぶりに、ちょっとしんみりした気分になってしまいました。
椿山荘でカフェするのも、これが最後になるでしょう。

こうして私の世界も少しずつ小さくなっていくのでしょう。
そして気がついたら、彼岸に立っているのだろうと思います。

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■節子への挽歌3178:成長する人と衰退する人

節子
昨日のわが家の庭のカフェの最後のお客様は、HYさんでした。
昨日来る予定だったのですが、階段で転んで足を捻挫して来られなかったのですが、ジュンの出産を知っていたので、そのお祝いに足を引きずりながらも、花束を持ってきてくれたのです。
HYさんは、私の挽歌を読んでくださって、コメントをくださって以来のお付き合いです。
彼女も、伴侶をなくされています。
どこかで思いがつながるところがあるのです。
大切な人を喪った人同士には、うまく言えませんが、お互いに支えたくなる心遣いが生まれるような気がします。
その心象が、なんとなく理解できるからです。

HYさんは、私と知り合う前から、ジュンの連れ合いがやっているイタリアンの「エヴィーバ!」のお客様でした。
友人と一緒に時々行ってくださっているのですが、ある時、峰行の伴侶がジュンで、その父親が私であることがわかり、つながったのです。
たぶんジュンとはすれ違いでしか会ったことはないのかもしれませんが、大事な人との別れを体験した人は、人の出会いを大切にするようになる気がします。
私もHYさんにお会いするのは今回が2回目なのですが、そんな気はあまりしません。
HYさんは、私のことをお元気そうでよかったと言われましたが、私以上にHYさんは元気で溌剌とされていました。
孫の命名にまつわるお話もいろいろとしてくれました。

カフェが終わった後、ジュンのところに花を届けに行きました。
ちょうどチビちゃんのおしめを交換しているところでした。
初めて泣き声を聞きました。
昨日よりも少し成長しているのがわかりました。
赤ちゃんはこうして一日一日成長していくのでしょう。
ちょうど私が、一日一日衰退していくように。

私に再び、時間軸が戻ってきそうです。

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2016/05/15

■節子への挽歌3177:仲の良いご夫婦

節子
わが家の庭のオープンカフェに、取手にお住いだというYさん夫妻が来てくれました。
面識はありませんが、とても仲のよさそうなご夫妻で、休日にはいろんなところを散策されているご様子です。
我孫子は初めてだそうですが、とてもいいところですねと言ってくれました。
わが家にあるスペインタイル工房は、会場から外れたところに一か所だけありますので、普通は立ち寄らないのですが、わざわざ立ち寄ってくださったのです。
とても物静かなご夫妻でしたが、奥様がコーヒーをご所望されたので、座っていただき、いろいろとお話をしていかれました。
幸いにその間、来客がなく、ゆっくりした時間を過ごせました。
Yさんの奥さまは、いわゆる「谷根千」が子どもの頃の遊び場だったようですが、旦那さんは茨城のご出身で、それぞれに関するお話もいろいろと弾みました。
そのうち、奥様が私の写真を撮っていいかと言い出しました。
そう言えば、おふたりとも立派なカメラを持っていました。
それで、私も写真におさまったのですが、その後、彼女がぽつりと言いました。
3年前に父をなくして…。
涙が出そうな顔でした。
それで写真の意味がわかりました。
まあ私の勘違いかもしれませんが、私に亡き父親の笑う姿を感じたのかもしれません。

別れ際にお名前をお訊きしました。
旦那さんは、上野にお勤めだそうです。
私も湯島にオフィスがあるとお伝えしました。
もしかしたら、またお会いできるかもしれません。

後姿を見送りながら、私たちもこんな夫婦になりたかったと思いました。
毎週のように、こうやっていろんなところを散策されているのでしょう。
不思議とうらやましさは浮かびませんでした。
私もだいぶ成長したようです。

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2016/05/14

節子への挽歌3176:孫のあいさつ

節子
ジュンがおチビさんと一緒に退院してきました。
帰宅途中にわが家にも立ち寄って、節子にも挨拶していきましたので、もう節子は孫の顔を見ていることでしょう。
私も抱いてみましたが、実に軽い。
魂には重さはないことがよくわかりました。

今日は我孫子の散歩市に合わせて、わが家の庭でオープンカフェをしていました。
今回は旗も立てずに、知る人ぞ知るというスタイルでしたが、今日は8人の人たちが来てくれました。
ところが、午後の後半は、我孫子在住ではない私の友人関係者たちでした。
みんな2時間もかけてきてくれたのですが、なんだか湯島のサロンのようになりました。
終わったのはなんと7時近くでした。

その合間に、ジュン家族3人が来ていたのですが、ちょうど来客が途切れた合間に立ち寄ったのです。
母子ともに一応元気そうでした。
とても動きのあるおチビさんです。
声をかけると手で合図を返してくれます。
たぶん魂は,すでに存在しているのでしょう。

10時からの1日サロンはやはりけっこう疲れます。
いや、孫との出会いが、疲れの原因かもしれません。
新生児は、人というよりも、神に近いと言われる意味がよくわかります。
その魂は、現世を超えているような感じがします。

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2016/05/13

■節子への挽歌3175:人生は「ゲーム」なのかもしれません

節子
20年ほど前の映画ですが、マイケル・ダクラス主演の「ゲーム」という作品があります。
テレビで放映されていたので、それを観てしまいました。
実業家ニコラスは48歳の誕生日に、弟」から「ゲーム」の招待状をプレゼントされます。
そのうたい文句は「人生が一変するような素晴らしい体験ができる」というものでした。
そこからニコラスは、とんでもない事件に巻き込まれていく、という話です。
最後は、とんでもないどんでん返しです。
まったくといっていいほど、リアリティのない物語です。
途中で観るのを止めようと思いながらも、ついつい最後まで見てしまいました。

観終わって、ふと感じたのは、その物語のリアリティのなさではなく、私自身のいまの人生のリアリティのなさです。
もしかしたら、私もまた、誰かの演出のもとでのゲームを生きているのかもしれない。
そういう視点で過去を振り返ると、私の人生はいかにも空虚です。
いや、自分自身が実体のない存在のようにさえ、感ずることがある。

節子がいなくなってから、生きていることの実感が得られなくなってきているのですが、そればかりか、どうも今の私が本当に生きているのかどうかが、時々、危うくなるのです。
ふと、自分がやっていることを、夢のように感じてしまうのです。
最近私に会ったことのある人は気づいているかもしれませんか、「まっ、いいか」と言ってしまうことが増えています。
深刻に悩むべき課題を前にして「まっ、いいか」。
放置していたら大変なことになりそうな時にでも「まっ、いいか」。
そんなことはありえないでしょうと友人に言われても「まっ、いいか」。
という感じです。
そして、そろそろ彼岸に旅立つかもしれないが、それも「まっ、いいか」というわけです。
現世への未練は、ほとんど吹っ切れてきました。
そのせいか、現世での感動も薄らいできてしまった。

誠実さを投げているわけでもないのです。
大きな視野で考えれば、個人の犠牲などは瑣末に感ずることもあります。
だからといって、個人をおろそかにしているわけではないのですが、個人としての自らを相対化できるようになってきたのです。
昨日書いたこととちょっと矛盾するような気もしますが、いずれもいまの私の素直な気持ちです。

ゲームであれば、いまの人生に執着しないでもいいでしょう。
ゲームオーバーしたら、また最初からゲームができるのですから。
しかし、次のゲームにも節子や家族や友人知人は登場してほしいです。
顔も見たくない人もいないわけではありませんが、そういう敵役もいないとゲームは豊かにならないでしょう。
ひどい映画でしたが、いろんな刺激を受けました。

実は今日は、ちょっと体調が悪くて、怠惰に過ごしていたのです。
明日は回復するといいのですが。

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2016/05/12

■節子への挽歌3174:生と死は人称を超えています

節子
今日、若い在家の僧侶がやってきました。
前から時々お会いしているのですが、このままだと日本のお寺は消えていくという危機感を背景に、お寺を拠点とした活動に取り組みだしています。

私は、節子の死と孫の生を体験して、生と死とは深くつながっていることを感じました。
それは、人の繋がりを復活させる契機なのです。

父が亡くなった時に、葬儀は人の繋がりを再確認しあう場であり、人の繋がりを広げる場であると感じたことを、どこかに書いたことがあります。
そのことを思い出しました。
生と死は、決して、個人の事件ではないのです。
生と死には「一人称」しかないのですが、それが「複数形」であり、言い換えれば「人称」を超えているのです。
最近そう思えるようになってきました。

夜、在日のガーナ人の若者が来ました。
彼は weasone というNGOを主宰しています。
それをどう展開していくかの相談に、時々来ているのですが、今日もまたweasoneの理念の話になりました。
one(一人の存在)としてのwe(みんな)。
we(みんな)が凝縮されたone(一人の存在)。
まさに、華厳経のインドラの網ですが、それが生と死には象徴されているような気がします。

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2016/05/11

■節子への挽歌3173:税金の季節

節子
この時期は税金の工面で大変です。
自宅の税金もありますが、実は節子と転居する予定で購入していた湯河原のマンションもあるので、その税金も払わなければいけません。
節子が残してくれた貯金は、あるトラブルのためになくなってしまいました。
困ったものです。
私の生活は、基本的には毎月15万円の年金で成り立っていますが、税金や家の改修工事などがあると、まあそれなりに大変なのです。
今年も庭の藤棚が倒れそうになっているので、造りかえようと見積もりを頼んだら、なんと予想以上に高価で、結局、先延ばしにしました。

もっとも貯金が全くないわけではなく、少しはありますが、定期預金はもはやなくなってしまい、税金の季節になると残高は減ってしまいます。
でもあと2~3年ほどは大丈夫でしょう。

湯河原のマンションは、もう転居計画はなくなったので売却したいのですが、それも面倒なので放置していますが、この管理費が高いのです。
時々、銀行の残高がなくなって振込できないこともありますので、今年こそ売却して、借金返済に充てようかとも思っていますが、値段を聞いたら、なんと購入時の4分の1です。
売ろうという気が失せてしまいました。

まあしかし、お金は天下のまわりものですから、本当に困ったらどこからかやってくるでしょう。
そういう考えが持てるようになったのは、節子との生活のおかげかもしれません。
収入がなくても何とかやってこられましたし、いつも誰かに支えられているのです。
娘の連れ合いは、私に収入のないことを知って不思議がっていましたが、私がだれかから何かをもらってきたりわが家に何かが送られてくるのを知って(その時には必ず娘夫婦にお裾分けします)、それで私の生活が維持できているのだなと、娘に話したそうです。
そうなるとまるで私がまわりの人たちのお布施によって生きているような感じがしますが、そんなことはなく、ただ単に生活費を切り詰めて、質素な暮らしをしているだけなのです。
質素な暮らしは、私には豊かな暮らしでもあるのですが。

たとえば、最近は本を図書館で借りて読むようにしているのですが、そうすると返却しなければいけないので、メモまで取って、2~3日できちんと読むようになりました。
購入した本は、机の上に積まれたまま、結局、読まずに書棚にうずもれてしまいがちですが、借りた本は必ず読み終えます。
書籍代は以前に比べれば、10分の1以下になりました。

それでもお金があまりないので高い会費の集まりには行けませんし、地方に出かけるのも、ままなりません。
仕立てのいいスーツとも無縁ですし、豪華な外食にも縁がありません。
お金で困っている人がいても、いまでは応援することもできません。
事実、今回の被災地への支援も、わずかしかできませんでした。
でもそれは、私にとってはむしろいいことでしょう。
とんでもないトラブルに巻き込まれることがなくなったからです。
それに、高価な食卓を前にすると、なぜか罪の意識を感ずるのです。

税金はめどが立ちました。
今年は、少し収入のある仕事に取り組もうと思っていますが、そう思うたびに逆に出費が増えてしまうことが多かったので、注意しなければいけません。

税金の季節は、私自身の生き方を考える時期でもあります。

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2016/05/10

■節子への挽歌3172:素直に喜べない気持ち

節子
病院に行って、母子に会ってきました。
峰行の両親や兄妹も来ていましたが、女性たちと男性たちとの表情や話しぶりには微妙な違いがあります。
私自身、正直、声を上げるほどの感激はないのです。
子どもと孫とでは、やはり違うのかもしれません。
あるいは、私が変人なのかもしれません。
友人たちから、孫の話をよく聞かされていましたが、そのたびに心がかたくなになってきていて、いまさらその心の殻を破れないでいるのかもしれません。
素直に喜べない私がいるのは、なぜでしょうか。

孫ほどかわいいものはないと聞かされるたびに、孫のいないさびしさを感じていました。
だから、仮に孫が生まれても、絶対に他者には喜びの気持を表したくないと思っていました。
これは、孫だけの話ではありません。

他者の喜びは、また自らの喜びでもあるはずです。
しかし、実際には必ずしもそうではなく、人には羨望の念や負い目を感ずる弱さもあります。
孫のいないことや、伴侶を喪ったことを通して、私自身、いろんな複雑な思いを積み重ねてきています。
そんななかで、いつのまにか、自分の喜びを他者に伝えることの罪深さを感ずるようになってきているのかもしれません。
もしかしたら、ひがみかもしれませんし、性格のゆがみかもしれません。

さらに、コムケア活動ということを通して、さまざまな人たちと付き合ってきている中で、私自身の、喜びや幸せの感じ方が違ってきているという面もあります。
宮沢賢治の、すべての人の幸せこそが自らの幸せだということが、最近はとてもよくわかるようになってきています。
ですから、自らだけの幸せは、むしろ素直に喜べなくなってきているのです。

娘たち夫婦の不妊治療の大変さも身近に感じています。
彼らは、幸いにも子どもを授かれましたし、私も孫を授かれました。
しかし、授かれない人もいる。
それを知っていて、どうして喜べるでしょうか。

しかし、母子ともに、元気な姿は見ることは、幸せなことです。
そこで素直に喜べばいいのですが、なぜかとても哀しいさびしさが、どこかにあるのです。
今日もまた、複雑な気持ちに襲われて、とても疲れた1日でした。

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■節子への挽歌3171:孫が無事出産しました

節子
昨夜の11時前にジュンが出産したという連絡がありました。
写真も届きました。
母子ともに元気そうです。

ジュンのパートナーの峰行は、イタリアンレストランをやっています。
ですから、開店日はなかなか病院にも行けません。
ところが9日と10日は連休なのです。
まさにそれに合わせて、生まれてきたかのようです。
それで、昨日の朝、峰行はジュンを松戸の病院に送り、夜また病院に出かけられたわけです。
今日もレストランは休みなので、病院に行けます。
親思いの子どもです。
私の娘たちとは大違いです。

朝、娘から電話がかかってきました。
峰行の両親も来るけれど、お父さんは来るのかという電話です。
こういう時には、普通は行くのでしょうか。
この歳の初孫なので、みんなさぞ喜んでいると思うでしょうが、そういう実感は出てこないのです。
病院に行っても、窓越しにしか会えません。
それに生まれたばかりの赤ちゃんは、私にはみんな同じ顔に見えます。
頑張ったね、と娘に言うのも、なんか白々しいです。
さてなんというべきか。

節子がいたら、すぐにでも行こうという気になるのですが、なぜかそういう気が起きてきません。
これまた実に複雑な心境なのです。
孫に会うのは、私ではなく、節子であってほしかった。
孫に会えなかった節子が不憫でなりません。
その責任は私にあるのかもしれません。

喜びには、かならず悲しみもついてくる。
でもまあ、みんなで病院に行くことにしました。
節子も連れていきましょう。

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2016/05/09

■節子への挽歌3170:娘の出産入院

節子
ジュンに子どもが生まれそうです。
実は1週間前から、いつ産まれてもおかしくないと言われていたのです。
節子がいたら、いろいろとケアしたのでしょうが、私には何もできないばかりか、アドバイスひとつできません。
ジュンは結局、わが家には戻らずに自宅で出産を迎えました。
そして、けさ早く入院したのです。
しかし、入院してから少し落ち着いたようで、明日になりそうだとメールが来ていたのですが、いまジュンのパートナーから出産しそうだというのでこれから病院に行くと電話がありました。
高齢出産なので、何かと心配ですが、娘夫婦は、出世前診断などは何もせずに、性別ももちろんわかっていません。
その点は、私たちと同じ考えです。

いずれにしろ私には何もできないのですが、この1週間は、なんとなく落ちつきませんでした。
節子がいたらどんなに喜ぶことか。
それを思うと、残念でなりません。

ジュンの妊娠を知ったある人が、「佐藤さんのおじい様ぶりはちょっと想像がつきません」とメールをくれました。
たしかに私にもイメージできません。
たぶん「おじい様」にはならないでしょう。
私は、「お父様」にさえなれなかったのですから。

上の娘のユカが、今日も、私に「まともな父親がほしかった」と嘆いていました。
私には、基本的にどこかに欠陥があるのです。
それが、「障がい」だと気づいているのは、娘たちだけかもしれません。
私も節子も同じでしたから、私たち夫婦はあまり自覚がなかったのです。
しかし、そのおかげで、多様な生き方への寛容さは少し高いように思っています。

まだ出産の連絡はありません。
期待と不安がまじりあった、とても奇妙な心境です。
祈るしかありません。

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■節子への挽歌3169:コモンズの悲劇

節子
この2日間、ちょっと疲れてしまっていました。
まあいろいろとありますが、また人間きらいに陥りそうです。
それにしても、最近の日本には「礼儀」というものがなくなってきているような気がします。
湯島をいろんな人たちに開いてはいますが、がっかりすることが多いのです。

親しき仲にも礼儀ありですが、親しくないのに礼儀もわきまえない人が増えています。
節子は、そういうのがとても嫌いでした。
横から見ていると、そういうことがよく見えたのでしょう。
私も、最近だんだんそういうふうになってきています。

湯島は、できるだけ多くの人たちに開放したいと思っています。
一応、湯島の利用ルールというのがあるのですが、きちんとそれを読んでくれていない人が多いのです。
そのルールでは、コモンズの悲劇ならぬ、コモンズの幸福を目指したいと最初に書いてあるのですが、時々、それが破られます。
もっともほとんどの人は、ルールを守ってくれていますが、時に信じられないような行動をする人もいるのです。
そのくせ、たぶんその人は、それに気づいていないのでしょう。
そういう人には開放したくないのですが、使う人を選んでしまえば、それはコモンズ空間にはなりません。
そこが悩ましいところです。

節子がいたら、私も愚痴をこぼせるのですが、いまはそんな話は誰にもできずに、ストレスがたまります。
それで気づいたのですが、節子がいた頃の私にストレスがなかったのは、節子がいたからだったのでしょう。
いまはすべてが私の中にたまってしまうので、時々、何やら人嫌いになるわけです。

その一方で、見事な言動に感動させられる人もいます。
形式的な礼儀ではなく、洗練された美しい言動をする人に接すると幸せになります。
しかも、そういう人は、むしろ若い世代に多いのです。

他者から見たら、私も礼儀知らずの非常識で醜い言動をしているのかもしれません。
時々、娘から指摘されますが、あんまり注意してくれる人もいません。

その人に似た人たちが集まるということが事実だとしたら、自らの言動をまずは反省しなければいけないのかもしれません。
でもまあ、私だったら絶対にそんなことをしないというような言動に出会うことがどうも最近増えています。
湯島を開放しすぎているのかもしれません。

昔ある友人から、付き合う友だちをなぜおまえは選ばないのかといわれたことがあります。
そう言う生き方をしていると、時に人間きらいになるのですが、大きな目で見たら、きっと人間好きになっている度合いの方が大きいでしょう。

社会には、実にさまざまな人もいる。
不快な言動の人も、受け入れる寛容さがほしいです。
この記事を書いて、少しすっきりしました。
まだまだ未熟です。

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2016/05/07

■節子への挽歌3168:今日も畑に行ってきました

節子
今日も畑をがんばりました。
しかし、この数日、行けなかったのと雨風がひどかったので、またきゅうりがほぼ全滅でした。
後から植えたナスもダメになってしまいました
小さな苗は、やはり周りを覆っておいてやらないといけないのだそうです。
まあこうやって少しずつ学んでいくわけですが、野菜作りも難しいです。

今やっているのは、野菜作りというよりも、むしろ開墾作業です。
重労働なのです。
ゆっくりと休み休みやらなければ倒れかねません。
耕運機を購入することもちょっと考えましたが、それではやはり意味がありません。
野草と競い合うには、やはりフェアに人力で立ち向かわないといけません。
いまでさえ自然を壊しているという気がするのですから、耕運機は使えません。

花壇はやはり難しいです。
野菜以上に声掛けが必要です。
なかなか思うように元気になってはくれません。

世間の連休も、明日を残すだけになりました。
この連休中に、やろうと思っていたことのリストは、半分しか消せませんでした。
どうしても、先送りする私の悪い習癖は直りません。
しかし、いずれも「絶対にやらなくてはいけないこと」でもないのです。
そもそも人生には、「絶対にやらなくてはいけないこと」などあるはずもありません。
みずからに何らかの課題を課さないと、生きにくくなることも事実ですが、いまの私にはそういう課題がみつかりません。
だからまあ、暇で暇で仕方がないわけですが、考えようによっては、畑の野菜に毎朝、挨拶に行くのだって、「やらなければいけないこと」と位置づけることはできるでしょう。
でもまあ、そんな気にもなりません。

5月の中旬から6月にかけて、いろんな用事が入っています。
京都や福井や新潟にもいく予定です。
その準備も全くできていません。
連休があけたら、きっとまた時間破産に陥るでしょう。
暇で暇で仕方がない状況での時間破産は、ちょっと心身がバラバラになるようで、あんまり気持ちのいいものではありません。
そうならないように、この連休期間で課題リストをすべて解消したかったのですが、見事に失敗しました。
でも、今日は2時間の畑仕事でいい汗をかいたので、少しだけ充実感があります。
だれからもほめてはもらえませんが。

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■「みんなのゆるカフェ」ネットワークのご案内

湯島のコムケアセンターで、「みんなのゆる~いカフェ」、略称「みんカフェ」を開いています。
まだ動き出したばかりの試行錯誤段階ですが、主旨に賛同して、同じような「みんカフェ」を始めようとしている人が出始めています。
その第1号として、5月26日、新潟の「ささえあい・新潟」が、新潟市で「みんカフェ」キックオフサロンを開催します。
最初なので、私も参加する予定ですが、お近くの方ももしお時間があればご参加ください。
案内は、下記します。
千葉でも、企画して下さっている人がいます。
また関西でも、同じような主旨で活動している人たちもいます。

コムケアとして考えている「みんカフェ」の目的は、「誰でも、そこに行くと自分の居場所がみつかるような場所」をつくり、そこに居合わせた人たちの「ゆるやかなつながり」を育てていくことです。
そして、そうした活動を、とてもゆるやかにつないでいき、時には交流できるようにしていければと思っています。
自分の居場所をつくっていくことも含めて、この主旨に共感してくださった人たちと一緒に、取り組めたらと思っています。

こんな活動を始めたいという人がいたら、ぜひご連絡ください。
5月28日には、湯島でも「みんカフェ」の集まりをやります。
まだ完全公開ではないのですが、関心のある人はご連絡ください。
詳しいご案内をさせてもらいます。

◆「みんカフェ・新潟」準備会のご案内
日時:5月26日(木曜日) 午後1時30分~3時30分
場所:関屋地区公民館(バス:関屋昭和町下車)
会費:500円
事務局:ささえあい・新潟(金田英一 kaneda-ei@nyc.odn.ne.jp)

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■節子への挽歌3167:連休と無縁の暮らし

節子
わが家では、連休は、「外部の世界」の話であって、わが家とは無縁のことなのですが、節子がいなくなってからは、ますます連休という感覚はなくなってしまっています。
ただ世間がお休みなので、在宅時間が増える期間ではあるのですが、なぜか今年は、それもまた普段と変わりない状況でした。
私の付き合う人たちが、「連休の恩恵」を受ける人たちではなくなってきているのかもしれません。
いずれにしろ、世間は連休ムードですが、わが家は普段と違うことは、何一つありませんでした。

会社を辞めて実感したことの一つは、「国民の休日(legal holiday)」が赤字になっているカレンダーの「暦」は会社で働く人たちのものだということです。
生活の立場から言えば、季節の暦だけで十分でしょう。
さらに歳をとってくると、週という概念もあまり意味がなくなってきます。
大きな季節、それもカレンダーの暦からは自由な、自然の状況に合わせた季節だけで十分なような気がします。

年齢も、あまり重要ではないという気がしてきます。
先日、一緒にあるプロジェクトに取り組んでいる仲間たちが、私が5月生まれであることを知って、誕生祝いをやろうかと言ってくれました。
そういうことに関してだけは素直でない私は、「なんで誕生日を祝うのかがわからない」と対応してしまったのですが、人はなぜ誕生日を祝い、自らの年齢を確認しなければいけないのか、あんまり理解できません。
たしかに、まだ生命的に安定しない乳幼児や児童の場合は、誕生日を祝うことには意味があります。
しかし、それは15歳くらいでもういいでしょう。
人は15歳くらいでもう一人前だと思いますので、誕生日や年齢も15歳以降は、毎年数えることもないような気がします。
国民を管理する政府にとっては、それでは「管理」できないのでしょう。
しかし、そもそも人を管理することなどできるはずもないし、管理されたくもありません。

とまあ、最近は、だんだんこういう考えになってきているのです。
歳を重ねるのが嫌だ、ということではありません。
自分自身の意識として、誕生日は一つの節目にはなりますので、誕生日そのものは否定しませんが、誕生日を祝うことは、もうやめようと思います。
そもそも記念日を祝う発想が、私にはもともと乏しいのです。

節子はそうではありませんでした。
節子は、誕生日を祝う派でした。
そして63歳の誕生日が、生きる目標になっていました。
それが達成できなかった。
もしかしたら、私の誕生日嫌いは、そのことに起因するのかもしれません。

連休を楽しんでいる様子が、フェイスブックでたくさん届きます。
自分が、社会から大きく脱落しているなと、つくづく思います。

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2016/05/06

■節子への挽歌3166:永遠の安らぎとは死なのか

ヨハン・ガルトゥングの「紛争解決学入門」という本を読んでいたら、こんな文章が出てきました。
ちょっと気になって、メモをしておきました。

生命をもつものだけが目標をもっている。
目標をもたなくなると、生命は終わる。
死ぬ人間がもつ最後の目標の1つは、無目標そのもの、永遠の安らぎであろう。
目標はわれわれを苦しめる。
目標を達成し、満足するためにわれわれが始める活動には限りがない。
その本を読んでいる時には、あまり消化できずにいました。
いくつかの違和感があったからです。
特に、「目標をもたなくなると生命は終わる」ということには、大きな違和感があります。
前にも書きましたが、生命は「目標」とは次元の違う話で、それ自身が「目標」そのものでもあるからです。
それに、永遠の安らぎは「死」と同義語です。
安らぎがないからこそ、生の躍動があるからです。
だからといって、生の目標が安らぎであるとは、到底思えません。

私は、最近、退屈で退屈で仕方がないのです。
節子がいなくなってから、ずっとそうです。
退屈と暇とは、私には同義語のような気がしていますので、
時々、暇で暇で仕方がないという発言をしてしまいます。
どうもそれが、相手には伝わりません。

退屈で暇であるということは、「安らぎ」でしょうか。
少なくとも私には違います。
退屈なこの8年の間、安らぎはあったでしょうか。
たしかにこの1年ほどは、比較的、安らぎの心境になることがあります。
世界が見えてきたような気がしてきているからです。
しかし、それが果たして「安らぎ」といえるかどうかは疑問です。
安らぎがないことと生の躍動は、あきらかに違います。

退屈で暇で、しかも安らぎもない。
なにが欠けているのでしょうか。

昨日、瞑想家にお会いしました。
といっても、瞑想が話題になったわけでも、彼が自らを瞑想家といったわけでもありません。
瞑想どころが様々な活動もされている人で、その関係で私とも会ったのだと思います。
ただ、話の所々で、「無我」という言葉が出てきました。
「無我」ということばが、もしかしたら、ガルトゥングの言葉を消化する鍵かもしれません。

ところで、節子はいまは「永遠の安らぎ」を得ているのでしょうか。
そんなことはないでしょう。
私を待っているはずですから。

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2016/05/05

■5月14・15日は我孫子アートな散歩市に合わせて、自宅でオープンカフェを開きます

5月8日から29日まで、我孫子アートな散歩市が開催されます。
毎年、わが家にある娘のスペインタイル工房 Taller de Junも参加する関係で、雨が降らなければ、工房の横の庭で、私がオープンカフェを開いています。
今年は娘が参加できないのですが、工房は公開することになりました。
私はその留守番役なのですが、天気が良ければ、例年通り、横の庭でカフェをやっている予定です。
といっても、コーヒーを飲んでもらうだけのカフェなのですが。
例年、いろんな人が立ち寄ってくれて、いろんな話がはずみます。

カフェのオープンは、5月14日と15日の2日間で、時間は10時から午後4時までです。
庭にテーブルは一つなのですが、コーヒーは用意しておきます。
スペインタイル工房 Taller de Jun も、娘はいませんが、開いています。

場所は、手賀沼公園の近くです。
我孫子駅南口前の「アビシルベ」(我孫子インフォメーションセンター)に散歩市の地図があると思いますが、次のサイトにもあります。
https://www.city.abiko.chiba.jp/event/event/music/a-tonasanpo.files/SKM_C554e16041113355.pdf
会場番号6が、わが家です。
我孫子駅から10分ほど、手賀沼公園から5分ほどです。
わからなければ電話ください(090-7416-1679)。
雨が降った場合はお休みです。

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■ストーリーテリングによるまちづくり

私が住んでいる千葉県の我孫子市は「物語の生まれるまち」を標榜しています。
物語の生まれるまち。
これは、我孫子市だけではなく、最近の流行語でもありますが、
本来、「まちづくり」とは「物語を育てること」だろうと思います。
そして、その場合の主人公は、住民一人ひとりなのだろうと思います。
残念ながら、行政にはそういう発想はありません。
ですから、単なるスローガンに終わることが少なくありません。

私は20年近く前に茨城県の美野里町(現在の小美玉市)の文化センターの建設にささやかながら関わらせてもらったことがあります。
当時は、ハコモノ行政批判が広がっていた時期で、美野里町も文化センター建設に反対する人が少なくありませんでした。
私は、そのプロジェクトのアドバイザー役で関わらせてもらったのですが、住民のみなさんに「文化センターではなく、文化の物語をつくる」プロジェクトにしましょうと話させてもらいました。
つまり「モノづくり」ではなく、みんなで「物語りましょう」と呼びかけたのです。
そして「物語の生まれる」拠点の一つとしての文化センターを提案させてもらったのです。

そこからたくさんの物語を経て、文化センター「みの~れ」が完成しました。
建物だけではなく、たくさんの物語も生まれました。
その経過が、あまりに面白かったので、住民の人たちと一緒に、その「文化がみの~れ物語」(茨城新聞社出版)という本にしました。
文化センター「みの~れ」は、いまなお、生き生きした物語を生み出しています。

センターが完成してから10年たった時に、住民たちが、文化センターを拠点に生まれた物語を本にしたいと、またやってきました。
前回と同様、住民たちで編集委員会を立ち上げ、文化センターを拠点に生き方を変えていった住民たちに、自らの物語を語ってもらい、「まちづくり編集会議」(日本地域社会研究所出版)という本を出版しました。
20人を超える人たちが、みずからの物語を生き生きと語っているのを読むと、物語りあうことがまちを育てていくことなのだということが実感できます。

「まち」とは、そこに住む人たちにとっての舞台です。
誰かがつくった物語に合わせるのではなく、住民一人ひとりが主役になって、自らの物語を語りだすことが大事です。
人は誰でも、物語る力がある。
それに気づけば、自然と物語は育っていきます。

私たちが先月立ち上げたストーリーテリング協会は、そうした「物語り合うまちづくり」を広げていきたいと考えています。
住民主役のまちづくりに取り組みたいという人がいたら、ぜひご相談ください。
一緒に、「物語の生まれるまち」を育てていければと思っています。

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■節子への挽歌3165:朝のミーティング

節子
今日は早起きをしました。
7時に近くのカフェで人と会う約束をしているからです。
白井で農カフェをやっている宇賀さんがぜひ私に引き合わせたい人がいると言って、わざわざ我孫子まで一緒に来てくださるのです。
テーマは、ベイシックインカム。
きっと波長は合うでしょう。

宇賀さんたちは農業にも取り組んでいますから、朝は早いのです。
私も、一時期、朝型になっていましたが、最近は目が覚めるのは早いのですが、なかなか起きてこられません。
しかし、久しぶりに朝早く、外に出てみると気分がとてもいいです。
まあ「季節の良さ」もありますが、朝の雰囲気はとても清浄な気分が漂っていて、いいものです。
玄関のバラも一つだけ咲きだしていました。
この勢いで、畑に行ってひと仕事というところまで行けばいいのですが、それはやはりまだ躊躇します。
しかし、湯島のミーティングも、朝サロンを始めてもよさそうです。
最近土日がなにやかやと用事が入りだし、サロンもできませんし、夜のサロンはどうも疲れます。
問題は、湯島の朝サロンに参加してくれる人がいるかどうかです。

節子
まあこんな感じで、何とか元気になれそうです。
滅入ることも多いのですが。

ではそろそろ出かけましょう。
新しい出会いは、いつもワクワクします。
なにか新しい物語が生まれるといいのですが。

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2016/05/04

■節子への挽歌3164:アンニュイな昼下がり

節子
連休の真っただ中、湯島に来ています。
午後からミニミーティングがあるのですが、今日はめずらしく午前中に出てきました。
しばらくいろんな人たちがこの部屋を使うので、掃除をしようと思ってきたのですが、ありがとうございます。さとは大違いのとてものどかな穏やかな日になってしまい、外をぼんやり見ていたら、うたた寝をしてしまいました。
それでせっかくなので、掃除はやめて、外を見ながらの「瞑想」をすることにしました。

休日のせいか、外の工事も休んでいて、ともかく静かです。
視野の一角に緑があります。
それが風で大きく揺らいでいるのが、瞑想に適度の刺激を与えてくれます。
おそらく行楽地はどこもにぎわっているのでしょう。
以前はよく行楽地にも出かけました。
私は混雑が好きなタイプでしたが、節子は好きではありませんでした。
いつの間にか私も混雑を避けるようになりました。
節子がいなくなった今は、節子がいた時以上に混雑は不得手になりました。
というか、混雑しているところには行かなくなってしまいました。

昼下がりの、なんとなくけだるく、甘く、アンニュイな雰囲気もたまにはいいものです。
学生の頃、わけもわからず観に行った、イタリア映画を思い出します。
ミケランジェロ・アントニオーニの作品だったでしょうか。
あの頃は、未来に大きな夢を持っていました。
そんなことを思い出していたら、お客様がやってきました。
この続きはまたあとで。

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■節子への挽歌3163:育児への反省

節子
今朝の我孫子は台風の時のように荒れていましたが、少し穏やかになってきました。
陽もさしだしました。
もしかしたら畑の野菜がまたダメになってしまっているかもしれません。

ジュンの出産は、この連休中になりそうです。
もういつ産まれてもおかしくないそうですが、まだのようです。
昨日、娘たちと食事に行ったのですが、ふたりからお父さんは私たちの出産のときに病院に来たのかと問われました。
行ったことは間違いありませんが、産まれてすぐではなかったような気もします。
節子の日記を見たらわかるのでしょうが、出産も育児も、かなり節子任せだったと思います。
いまから思えば、節子は一人で大変だったでしょう。

娘からは、チャッピー(今は亡き愛犬です)への接し方を見ていれば、お父さんの子育ての姿勢がわかるとさえ言われたことがあります。
つまり、遊び相手ではあっても、真剣に育てようという姿勢が見られないというのです。
そんなことは決してないと弁明したものの、正直、そう言われると自信をなくします。
それに、子どもと「友だちづきあい」などできるはずがないだろうとも言われています。
私の基本姿勢は、子どもも友だちという考えなのです。
しかし、親子の関係は、そんなに「甘く」ないようです。
いまから思えば、身勝手な子育てだったのかもしれませんが、助け船を出してくれるはずの節子がいないいま、弁明の方法がありません。
孤立無援なのです。
困ったものです。

娘を通して、私たちが親としてはやはり身勝手だったことを痛感させられているのですが、節子がいないいま、すべては私が引き受けなくてはいけません。
それはかなりつらいことではあります。

それにしても、娘たちを見ていると、自分のことがよくわかります。
節子はよく私に付き合ってくれたものです。
感謝しなければいけません。
娘たちが付き合ってくれていることにも、ですが。

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2016/05/03

■節子への挽歌3162:日本国憲法前文を熟読しました

節子
憲法記念日は、毎年、日本国憲法を読むことから始まりますが、今年はそれをフェイスブックに書いたことで、電話やメールが届きました。
例によって、リンカーンクラブの武田さんとは1時間の長電話になりました。
武田さんはちょうどまた憲法に関する本を書きあがたところです。
節子がいた頃と同じく、武田さんとは毎回同じような議論を繰り返しながら、喧嘩をし続けています。
困ったものですが。

今年は改めて前文を熟読しました。
日本国憲法はこれでもう十分だと思いました。
ほかの条文は不要です。
しかし、それでは権力に対する防御策にはなりませんが。

おそらく私や節子が生きた時代は、人類においても「稀有な時代」だったのかもしれません。
穏やかな平和な暮らしができたのですから。
私は太平洋戦争が始まる少し前に生まれ、節子は太平洋戦争が終わった少し後に生まれました。
そして、ふたりとも戦後の、かなり物質的に貧しい時代に育ちました。
両親の苦労を身近に感じて育ちましたから、「もったいない」の精神はかなり持っています。
娘たちからは、ふたりとも「変わっている」と言われ続けていますが、それなりに自分を貫いた生き方ができています。
それも、日本国憲法のおかげだろうと思っています。
競争しなくても、いきていける時代だったのです。

しかし、そうした「良き時代」は、終わりつつあります
人類の歴史は、もう少しはつづくでしょうが、おそらく人間の時代はそろそろ終焉するでしょう。
早ければたぶん、今世紀で終わるだろうと思います。
来世がどうなっているのか、いささか心配ですが、まあそれはそれで仕方がありません。
でも終わりはわかっていても、生き方は変えるつもりはありません。
来世も人間の社会に生まれたいと思って、いまの生き方を続けていこうと思います。

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2016/05/02

■節子への挽歌3161:花かご会のみなさんは楽しそうでした

節子
我孫子駅前の花壇の整備をやっている花かご会が、今日は植え替え日だと言うので、ささやかな差し入れに行ってきました。
今日は山田さんや黒武者さんなど、7~8人で作業をしていましたが、花を植える場所がどんどん広がってきています。
今年は、ある企業から花苗を80鉢も寄贈されて、そのため花壇の裏側までも花で埋め尽くされていました。
その分、みなさんの仕事も多くなっているのでしょうが、みんな楽しそうに生き生きと動いていました。
みなさんの笑顔もとても素晴らしい。
もしかしたら、節子の姿も、どこかにあったのかもしれません。

市からの苗の提供も順調のようで、むしろ今年は苗よりも肥料などの手当てが大変そうでした。
今年は、表彰もしてもらえるそうです。
花かご会のみなさんの活動がこうやって多くの人たちに知ってもらえるのはうれしいことです。
ジュンの出産予定のことも、山田さんから伝わっていたようで、私よりも詳しい情報をお持ちでした。
困ったものです。

花かご会のおかげで、駅を通る時にいつも、節子を思い出せます。
感謝しなければいけません。

Hanakago1


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2016/05/01

■カフェサロン「人工知能と人間の創造性について考える」の報告

音楽を切り口として、「人工知能と人間の創造性について考える」のサロンには、予想以上に幅広い立場の15人の参加者がありました。
「音楽」に興味のある人と「人工知能」に興味のある人とが混在したために、音楽論と人工知能論が行ったり来たりしましたが、それがまた面白かったです。
話し合いが始まる前に、音楽のために生きているという小林さんが、こう話しだしました。

今日はジャムセッションのような感じで自由にサロンができたら良いなと思っています。
コールアンドレスポンスで、いきましょう。
1つだけお願いがあります。
創造性という言葉を定義しないでほしいのです。
このお話に正解なんてありません。
いろんな創造性があるはずで、それを話し合って、人間の創造性の可能性を広げましょう、言葉は小鳥です。厳密に定義しようとして、ぎゅーっと握りしめたら死んでしまう。
創造性と言う小鳥には翼があります。
手を開いて、羽ばたかせてあげて欲しい。
ジャムセッション。
言葉の翼。
象徴的なメッセージです。
さらにこんな話もされました。
かっこよく(トランペットを)吹こうとするのではなく、こんなのでいいと思うと、うまく吹けます。
自分のもともと持っているものを、素直に出せば、よいものが生まれるのです。
「魂の交換」とか「大地の思考」という言葉も出てきました。
ここまでの話で、小林さんの音楽に対する姿勢や生き方が伝わってきますが、その後、レジメに沿って、コールアンドレスポンスで、話し合いが進みました。

話し合いの内容を報告するのは、私の能力をはるかに超えてしまいますので、いつものように(いつも以上に)極めて偏った報告をさせてもらいます。

小林さんは、最初に人工知能が作曲した音楽の一部を3曲、iPhoneで聴かせてくれました。
http://qz.com/488701/humans-are-confusing-music-composed-by-a-computer-for-j-s-bach/
それを聴いて、音楽には3つの「創造」(作曲)があると思いました。
データ(譜面の創造)、演奏(音の創造)、鑑賞(魂の創造)。
人工知能の作曲した1曲は人が演奏し、2曲はシンセサイザーの自動演奏でした。
私にはまったく違うものに感じました。

もう一つ感じたことがあります。
それは、人や人工知能が音楽を創るのではなく、音楽が人や人工知能を創るのではないかということです。
小林さんの言葉を使えば、「音楽」の代わりに「大地の思考」といってもいいでしょう。
いまでは、人工知能を使って、音楽の基礎知識がなくても作曲ができます。
しかし、人工知能が作曲するというのと、人工知能を使って作曲するというのは、まったく違います。
いつか突然に、人工知能が作曲をしだす時が来るでしょうか。
これも考えると、とても興味深いことです。

デジタルな音楽とアナログの音楽との違いも少し話題になりました。
なぜ日本の長唄は西洋音楽的な譜面にできないのかという指摘もありました。
自然の音と音楽との違いの話もありました。
ヨーロッパ人には雑音でしかない鈴虫の鳴き声がなぜ日本人には快く聴こえるのか。

人工知能に関して言えば、ディープラーニングやシンギュラリティの話も出ました。
ディープラーニングは、人工知能が人間の制約を受けずに独自に世界を読み解いていくということで、これによって、人工知能が自分自身よりも賢い人工知能をつくれるようになる「シンギュラリティ」(自己成長を始める特異点)に達するかもしれないと言われています。
もしシンギュラリティが実現すれば、人工知能は人間を超えるかもしれず、それが人工知能脅威論につながっています。

こんな感じで、音楽論と人工知能論が、いろいろと混じり合った、刺激的なサロンになりました。
最後は、神の話にまでなりました。
小林さんは、霊の世界ともつながっている人ですから。

そこで、最後の最後に、私は、ジュリアン・ジェインズの二分心の考えを紹介させてもらいました。
私は、独自の創造力を持つ人工知能の誕生を確信していますが、それはジェインズの「神々の沈黙」を読んで、「二分心」仮説を知ってからです。
ジェインズは、3500年前まで、人は右脳で神々の声を聞き、それを左脳で消化して行動していたというのです。
つまり、神の声に従って生きていたということです。
その頃の人間の生き方は、ホメロスの『イーリアス』に読み取れると書いています。
たしかに、そういう視点でホメロスを受け止めるととても納得できます。
しかし、3500年前頃に、人は神から独立して、右脳軸から左脳軸の生き方へと変わったのです。
神から独立したわけです。
そして、神を殺してしまった。
ジェインズに怒られそうな要約ですが、私は神が人に施したように、いま人が人工知能の自立の契機になっているのではないかと思います。
言い方を変えれば、私たち人間は、人工知能ならぬ「神工知能」ではないかというのが、私のいささか荒唐無稽と思われかねない考えなのです。

今回は、音楽論を期待して参加してくださった方には少し肩すかしだったかもしれません。
それで、小林さんによる音楽論サロンは、また改めて企画します。
また小林さんが納得できる、自らの音楽に到達したら、小林さんの音楽を聴く会も企画したいと思います。

いかにも自分勝手な報告なので、最後に、サロン終了後も話し合っていた人から届いたメールを引用させてもらいます。

Oさんが、AIでの作曲は権力者側の誘導に利用されるのでは、と懸念していました。
もうひとりのOさんは、AIは創造性より、Hさんが言ったデータマイニングに基づく楽曲づくりとなり、販売促進や映画の効果音など、実用的な面で活用される旨のことを指摘していました。
今回のテーマは「AIと創造性」でしたが、むしろ、このお二方の懸念(指摘?)するように「計算された効果をもたらすための音楽」づくりに当面は向かうのかもしれませんね。
音楽はいつも権力に深くつながっていますから、否定はできません。
期待と不安は尽きません。


20160430


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