■節子への挽歌3180:頭痛がなおりません
節子
昨夜は帰宅途中に地震が発生し、電車が1時間以上も遅れました。
帰宅したのは深夜12時近くになりました。
最近はこうした異常体験も、楽しむよりも疲れに負けてしまっています。
今日はその疲れが抜けずに、いました。
頭痛が抜けないのです。
まあ、この歳になると、心身の不調がいろんなところで起こるのは自然の摂理です。
身体の老化は自然と進むとしても、意識はなかなかそれについていけません。
ですから、身体が意識に向けて、気づかせるためのシグナルを出してくれるのでしょうが、それをなかなか素直に受け入れないのが、また意識です。
昨日、久しぶりに会った風早さんが、私を見て、大丈夫ですと断言してくれました。
風早さんは、他者の健康状況をしっかりとみていて、お医者さんよりも早く、病状を指摘したことも少なくありません。
節子をなくした後の私は、見るに堪えなかったようですが、最近は私に会うたびに、大丈夫と太鼓判を押してくれるのです。
しかし、風早さんから太鼓判を押してもらっても、疲れる時は疲れます。
そして、疲れが翌日にまで持ち越されるのです。
今日は、やらなければいけないことがいろいろとあったのですが、すべてを辞めてしまいました。
疲れた時には休まなければいけません。
休んでいるうちに、気づいたことがあります。
昨日のこと、つまり最後の経営道フォーラムの発表会のことをフェイスブックに書いたのですが、いろんな人がコメントをくれました。
長いことお疲れさまでした、と言うコメントも少なくありませんでした。
私のように周辺の影響を受けやすいタイプの場合、「お疲れさまでした」といわれると、素直に疲れに気づくのかもしれません。
意識は、自分のものであって自分のものではないのです。
「疲れ」とはいったい何なのか。
なぜ電車の渋滞が長引くのかという問題の究明とともに、疲れの原因と解決策の究明が、今日の課題だったのですが、1日じっくりと考えたので、ほぼいずれも解明しました。
それで、今日はゆっくり眠れそうです。
頭痛は少しまだ残っていますが。
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