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2016/05/24

■話し方と生きる姿勢

舛添都知事が政治資金がらみで世間の糾弾を受けていますが、こんな瑣末な事件で報道が覆われることが残念です。
いかにも瑣末な事件で、どうでもいいようなことをあれやこれやと報じています。
舛添さんが、こういう人であることなど、周辺の人はみんなわかっていたでしょうし、周囲の人でない私でもわかっていたことなので、その気になれば誰もが事前に知ることができたはずです。
こういう話があまりに多すぎます。

それはそれとして、舛添さんの記者会見を見ていて、改めて気づくのは、どうして主体的に話ができないのだろうかということです。
舛添さんに限りませんが、この種の記者会見で使われるのは、「…したいと思います」という表現や「ご心配をかけました」という表現です。
いずれもどこか他人事の言い方です。

「…したいと思います」というのは、願望と意向を述べただけの二重に逃げた表現です。
なぜ「…します」と言い切れないのか。
こういうところに、その人の生き方が伝わってきます。
「…したいと思います」というような表現をする人は、自分を生きている人ではないと私はいつも考えています。
そんな人は組織のリーダーにはなるべきではありませんし、なれません。
リーダーは「…する」と言わなければいけません。
せめて「…しよう」でしょう。
そう言えるリーダーがいない組織は、みんなが寄生している組織ですから、原子力ムラのように、いつか破綻するまで群がった人たちに善良な人が犠牲にされるための仕組みになってしまいます。
そういう組織がなんと多いことか。
組織には、人を活かす組織と人を殺す組織があるようです。

話し方には、その人の生き方が現れます。
私は一人称自動詞でできるだけ語ろうとしていますし、そこに曖昧な「…したい」とか「思います」とかいう余計な逃げ口上はできるだけ入れないようにしています。
したければすればいいですし、思うのであれば、これまた行動すればいいだけの話です。

同時に口に発した言葉は、大事にします。
舛添騒動から学ぶことはたくさんあります。

もうひとつ確信が深まったことがあります。
他者への批判の多くは、みずからにも当てはまることであるという仮説です。
誰かを批判する人の話を聞いていると、多くの場合、その人にもかなりあてはまることがあります。
舛添さんがやってきていることの多くは、これまで舛添さんが批判していたことと重なっています。
自分がやっているからこそ、他者のそうした行動が見えていたのでしょう。
批判というものは、いつもみずからにも向かっていることを、改めて確信しました。

ということは、ここで私が書いたこともまた、私にも向けられているということです。
正直、そんなことはないと言いたいのですが、たぶん否定はできないのでしょう。
「…したいと思います」という表現こそ、気をつけていますが、私もきっと逃げ口上を使いながら生きているのでしょう。
気をつけなければいけません。

こう考えてくると、世の中に批判したくなることが多いということは、自らの生き方もまた劣化しているということになります。
批判する前に自省せよ。
それを指針としてしまったら、時評が書けなくなってしまいました。
さてさて困ったものです。
ここから抜け出さなくてはいけません。

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コメント

初めまして、あまりにも今の自分の悩みと被った内容で、思わず投稿してしまいました。
>もうひとつ確信が深まったことがあります。
この文面すべてに、同感しました。少しだけ答えが見えたように思います。
ありがとうございました。

投稿: yayo | 2016/05/28 17:56

yayoさんありがとうございます。
機会があれば湯島にも遊びに来てください。

投稿: 佐藤修 | 2016/05/29 11:42

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