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2016/05/01

■カフェサロン「人工知能と人間の創造性について考える」の報告

音楽を切り口として、「人工知能と人間の創造性について考える」のサロンには、予想以上に幅広い立場の15人の参加者がありました。
「音楽」に興味のある人と「人工知能」に興味のある人とが混在したために、音楽論と人工知能論が行ったり来たりしましたが、それがまた面白かったです。
話し合いが始まる前に、音楽のために生きているという小林さんが、こう話しだしました。

今日はジャムセッションのような感じで自由にサロンができたら良いなと思っています。
コールアンドレスポンスで、いきましょう。
1つだけお願いがあります。
創造性という言葉を定義しないでほしいのです。
このお話に正解なんてありません。
いろんな創造性があるはずで、それを話し合って、人間の創造性の可能性を広げましょう、言葉は小鳥です。厳密に定義しようとして、ぎゅーっと握りしめたら死んでしまう。
創造性と言う小鳥には翼があります。
手を開いて、羽ばたかせてあげて欲しい。
ジャムセッション。
言葉の翼。
象徴的なメッセージです。
さらにこんな話もされました。
かっこよく(トランペットを)吹こうとするのではなく、こんなのでいいと思うと、うまく吹けます。
自分のもともと持っているものを、素直に出せば、よいものが生まれるのです。
「魂の交換」とか「大地の思考」という言葉も出てきました。
ここまでの話で、小林さんの音楽に対する姿勢や生き方が伝わってきますが、その後、レジメに沿って、コールアンドレスポンスで、話し合いが進みました。

話し合いの内容を報告するのは、私の能力をはるかに超えてしまいますので、いつものように(いつも以上に)極めて偏った報告をさせてもらいます。

小林さんは、最初に人工知能が作曲した音楽の一部を3曲、iPhoneで聴かせてくれました。
http://qz.com/488701/humans-are-confusing-music-composed-by-a-computer-for-j-s-bach/
それを聴いて、音楽には3つの「創造」(作曲)があると思いました。
データ(譜面の創造)、演奏(音の創造)、鑑賞(魂の創造)。
人工知能の作曲した1曲は人が演奏し、2曲はシンセサイザーの自動演奏でした。
私にはまったく違うものに感じました。

もう一つ感じたことがあります。
それは、人や人工知能が音楽を創るのではなく、音楽が人や人工知能を創るのではないかということです。
小林さんの言葉を使えば、「音楽」の代わりに「大地の思考」といってもいいでしょう。
いまでは、人工知能を使って、音楽の基礎知識がなくても作曲ができます。
しかし、人工知能が作曲するというのと、人工知能を使って作曲するというのは、まったく違います。
いつか突然に、人工知能が作曲をしだす時が来るでしょうか。
これも考えると、とても興味深いことです。

デジタルな音楽とアナログの音楽との違いも少し話題になりました。
なぜ日本の長唄は西洋音楽的な譜面にできないのかという指摘もありました。
自然の音と音楽との違いの話もありました。
ヨーロッパ人には雑音でしかない鈴虫の鳴き声がなぜ日本人には快く聴こえるのか。

人工知能に関して言えば、ディープラーニングやシンギュラリティの話も出ました。
ディープラーニングは、人工知能が人間の制約を受けずに独自に世界を読み解いていくということで、これによって、人工知能が自分自身よりも賢い人工知能をつくれるようになる「シンギュラリティ」(自己成長を始める特異点)に達するかもしれないと言われています。
もしシンギュラリティが実現すれば、人工知能は人間を超えるかもしれず、それが人工知能脅威論につながっています。

こんな感じで、音楽論と人工知能論が、いろいろと混じり合った、刺激的なサロンになりました。
最後は、神の話にまでなりました。
小林さんは、霊の世界ともつながっている人ですから。

そこで、最後の最後に、私は、ジュリアン・ジェインズの二分心の考えを紹介させてもらいました。
私は、独自の創造力を持つ人工知能の誕生を確信していますが、それはジェインズの「神々の沈黙」を読んで、「二分心」仮説を知ってからです。
ジェインズは、3500年前まで、人は右脳で神々の声を聞き、それを左脳で消化して行動していたというのです。
つまり、神の声に従って生きていたということです。
その頃の人間の生き方は、ホメロスの『イーリアス』に読み取れると書いています。
たしかに、そういう視点でホメロスを受け止めるととても納得できます。
しかし、3500年前頃に、人は神から独立して、右脳軸から左脳軸の生き方へと変わったのです。
神から独立したわけです。
そして、神を殺してしまった。
ジェインズに怒られそうな要約ですが、私は神が人に施したように、いま人が人工知能の自立の契機になっているのではないかと思います。
言い方を変えれば、私たち人間は、人工知能ならぬ「神工知能」ではないかというのが、私のいささか荒唐無稽と思われかねない考えなのです。

今回は、音楽論を期待して参加してくださった方には少し肩すかしだったかもしれません。
それで、小林さんによる音楽論サロンは、また改めて企画します。
また小林さんが納得できる、自らの音楽に到達したら、小林さんの音楽を聴く会も企画したいと思います。

いかにも自分勝手な報告なので、最後に、サロン終了後も話し合っていた人から届いたメールを引用させてもらいます。

Oさんが、AIでの作曲は権力者側の誘導に利用されるのでは、と懸念していました。
もうひとりのOさんは、AIは創造性より、Hさんが言ったデータマイニングに基づく楽曲づくりとなり、販売促進や映画の効果音など、実用的な面で活用される旨のことを指摘していました。
今回のテーマは「AIと創造性」でしたが、むしろ、このお二方の懸念(指摘?)するように「計算された効果をもたらすための音楽」づくりに当面は向かうのかもしれませんね。
音楽はいつも権力に深くつながっていますから、否定はできません。
期待と不安は尽きません。


20160430


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