■節子への挽歌3170:娘の出産入院
節子
ジュンに子どもが生まれそうです。
実は1週間前から、いつ産まれてもおかしくないと言われていたのです。
節子がいたら、いろいろとケアしたのでしょうが、私には何もできないばかりか、アドバイスひとつできません。
ジュンは結局、わが家には戻らずに自宅で出産を迎えました。
そして、けさ早く入院したのです。
しかし、入院してから少し落ち着いたようで、明日になりそうだとメールが来ていたのですが、いまジュンのパートナーから出産しそうだというのでこれから病院に行くと電話がありました。
高齢出産なので、何かと心配ですが、娘夫婦は、出世前診断などは何もせずに、性別ももちろんわかっていません。
その点は、私たちと同じ考えです。
いずれにしろ私には何もできないのですが、この1週間は、なんとなく落ちつきませんでした。
節子がいたらどんなに喜ぶことか。
それを思うと、残念でなりません。
ジュンの妊娠を知ったある人が、「佐藤さんのおじい様ぶりはちょっと想像がつきません」とメールをくれました。
たしかに私にもイメージできません。
たぶん「おじい様」にはならないでしょう。
私は、「お父様」にさえなれなかったのですから。
上の娘のユカが、今日も、私に「まともな父親がほしかった」と嘆いていました。
私には、基本的にどこかに欠陥があるのです。
それが、「障がい」だと気づいているのは、娘たちだけかもしれません。
私も節子も同じでしたから、私たち夫婦はあまり自覚がなかったのです。
しかし、そのおかげで、多様な生き方への寛容さは少し高いように思っています。
まだ出産の連絡はありません。
期待と不安がまじりあった、とても奇妙な心境です。
祈るしかありません。
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