■節子への挽歌3181:人の縁の不思議さ
節子
久しぶりに佐々木さんが湯島に来ました。
愛犬のミホを見送ってから初めてお会いするのです。
一見、変わりはないようですが、どこか違います。
私自身のことを思い出しながら、いろいろと話しました。
私がそうであったように、こういう時には引き出さないといけません。
余計なお世話をしたくなりました。
私がそうであったように、たぶん「迷惑」に感ずるでしょうが。
人の縁は不思議なものです。
節子を見送った後、ひきこもりそうだった私をひっぱり出してくれたのは、私の友人たちです。
それも、とても意外なのですが、必ずしも親しかった人でもなく、湯島によく来ていた人でもありません。
もちろん、たくさんの言葉を与えてくれた人でもありません。
口数の多い人よりも、口数の少ない人の方が、私を引き出してくれたのです。
人の真実は、言葉にではなく、行動にあります。
いや、行動ではなく、存在にあるのかもしれません。
それも、ある一瞬の出会いに象徴される、記憶の存在にあるのかもしれません。
節子の葬儀に遠くからやって来てくださった方もいれば、わざわざわが家に献花にまで来てくださった方がいます。
とりわけいまも印象に残っているのは、病気で社会の主流から外れ、そのため、家族さえも壊れてしまったおふたりの男性です。
私は、何の役にも立てませんでしたが、ある偶然の出会いから、交流が始まりました。
どこか気持ちが通じ合えたのかもしれません。
庭に献花台をつくった時に、思ってもいなかったその人たちが、来てくれたのです。
経済的にとても大変なはずなのに、大きな花束を持ってきてくださったのを見た時のうれしさを、いまもはっきりと覚えています。
そういう人たちのおかげで、私は、引きこもりに向かわずに済んだのかもしれません。
このおふたり以外にも、いまはもう交流がなくなってしまった人もいますが、私を元気づけてくださった人たちがたくさんいます。
遠くからわが家の庭の献花台に献花して、挨拶もせずに帰ろうとした人もいます。
お恥ずかしいことながら、私もその人とは一度しかある集まりでしか会ったことがなく、顔を覚えていなかったので、危うく気づかないところでした。
彼女は、赤ちゃんを亡くした悲しみを克服する活動に取り組んでいました。
その活動を、ほんのちょっとだけ私は応援したのですが、それだけのことで、わが家まで足を運んでくれたのです。
人の心の繋がりは、付き合いの長さや交流の深さや利害関係とは無縁なのかもしれません。
節子を見送った後、私はたくさんの人たちに支えられていました。
あの人たちはいまはどうしているでしょうか。
そういえば、その後、交流の途絶えた人も少なくありません。
恩送りが私の生き方ではありますが、ちょっと気になりだしました。
まさかこの挽歌を読んではいないでしょうが、もし読んでいたらご連絡ください。
ご本人であれば、たぶん心当たりがあるでしょうから。
私もまた連絡を取ってみようと思いますが。
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