節子への挽歌3176:孫のあいさつ
節子
ジュンがおチビさんと一緒に退院してきました。
帰宅途中にわが家にも立ち寄って、節子にも挨拶していきましたので、もう節子は孫の顔を見ていることでしょう。
私も抱いてみましたが、実に軽い。
魂には重さはないことがよくわかりました。
今日は我孫子の散歩市に合わせて、わが家の庭でオープンカフェをしていました。
今回は旗も立てずに、知る人ぞ知るというスタイルでしたが、今日は8人の人たちが来てくれました。
ところが、午後の後半は、我孫子在住ではない私の友人関係者たちでした。
みんな2時間もかけてきてくれたのですが、なんだか湯島のサロンのようになりました。
終わったのはなんと7時近くでした。
その合間に、ジュン家族3人が来ていたのですが、ちょうど来客が途切れた合間に立ち寄ったのです。
母子ともに一応元気そうでした。
とても動きのあるおチビさんです。
声をかけると手で合図を返してくれます。
たぶん魂は,すでに存在しているのでしょう。
10時からの1日サロンはやはりけっこう疲れます。
いや、孫との出会いが、疲れの原因かもしれません。
新生児は、人というよりも、神に近いと言われる意味がよくわかります。
その魂は、現世を超えているような感じがします。
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