■節子への挽歌3162:日本国憲法前文を熟読しました
節子
憲法記念日は、毎年、日本国憲法を読むことから始まりますが、今年はそれをフェイスブックに書いたことで、電話やメールが届きました。
例によって、リンカーンクラブの武田さんとは1時間の長電話になりました。
武田さんはちょうどまた憲法に関する本を書きあがたところです。
節子がいた頃と同じく、武田さんとは毎回同じような議論を繰り返しながら、喧嘩をし続けています。
困ったものですが。
今年は改めて前文を熟読しました。
日本国憲法はこれでもう十分だと思いました。
ほかの条文は不要です。
しかし、それでは権力に対する防御策にはなりませんが。
おそらく私や節子が生きた時代は、人類においても「稀有な時代」だったのかもしれません。
穏やかな平和な暮らしができたのですから。
私は太平洋戦争が始まる少し前に生まれ、節子は太平洋戦争が終わった少し後に生まれました。
そして、ふたりとも戦後の、かなり物質的に貧しい時代に育ちました。
両親の苦労を身近に感じて育ちましたから、「もったいない」の精神はかなり持っています。
娘たちからは、ふたりとも「変わっている」と言われ続けていますが、それなりに自分を貫いた生き方ができています。
それも、日本国憲法のおかげだろうと思っています。
競争しなくても、いきていける時代だったのです。
しかし、そうした「良き時代」は、終わりつつあります
人類の歴史は、もう少しはつづくでしょうが、おそらく人間の時代はそろそろ終焉するでしょう。
早ければたぶん、今世紀で終わるだろうと思います。
来世がどうなっているのか、いささか心配ですが、まあそれはそれで仕方がありません。
でも終わりはわかっていても、生き方は変えるつもりはありません。
来世も人間の社会に生まれたいと思って、いまの生き方を続けていこうと思います。
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