■節子への挽歌3189:口に出した以上は守らなければいけません
節子
昨年11月に大阪でお会いした方からメールが来ました。
息子さんを自死で失くされた方です。
お会いしたのは、ある会だったのですが、ゆっくりお話しする時間がありませんでした。
その後、メールが届き、大阪に来た時にはぜひまたお会いしたいという内容でした。
私も、かならず連絡しようと思っていました。
しかし、不覚にも失念してしまっていました。
何回か大阪にも行きましたが、声をかけるどころか、申し訳ないことに忘れてしまっていたのです。
その方は、きっと私からの連絡を待っていたはずです。
立場によって、思いの軽重は変わります。
だからこそ、注意しなければいけないといつも心しているつもりですが、うっかりしてしまいました。
その方は、こう書いてきました。
教えて頂きたいことがあります。 「若者、その中でも学生」の自死者の多さに悲しい思いを抱いております。 「若者の生き辛さを、和らげるために、何をしたらよいのか」 何かヒントになる事(本、論文、ワークショップなど)を教えてください。 不躾な事をお願いして申し訳ありませんがよろしくお願いします。
こんなメールを書かせることになったことを恥じなければいけません。
連絡してくれないではないかという、その方の思いを背景に感じます。
口だけの人が多いのに、最近、いささか人嫌いになっているのですが、私自身もそうだったのです。
私が一番恥ずべきだと思っている生き方です。
口に出した以上は守らなければいけません。
不躾なのは、私自身です。
軽々に口には出せないですが、6月にはお会いしようと思います。
大阪に行く用事ができるといいのですが。
今日はもう一人、久しぶりに方からメールが来ました。
この方とも一度しか会っていませんが、明日の湯島のサロンに参加するという連絡です。
この方のことも気になりながら、いつの間にか忘れてしまっていました。
でも、みんなどこかで私のメッセージを受け止めてくれているのです。
感謝しなければいけません。
節子が元気だったころ、時々注意されていたことがあります。
付き合う人の数が多すぎるのではないか。
もっと一人ひとりとの付き合いを大切にしないといけない、と。
そうかもしれません。
しかし、そこに人がいたら声をかけたくなる。
その人に役立てることがあれば、役立ちたいと思う。
それは、人として、とても自然な生き方なのだろうと思います。
そして、時についつい忘れてしまうのも、また自然な生き方。
節子にも、そう言っていたのを思い出します。
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