■節子への挽歌3163:育児への反省
節子
今朝の我孫子は台風の時のように荒れていましたが、少し穏やかになってきました。
陽もさしだしました。
もしかしたら畑の野菜がまたダメになってしまっているかもしれません。
ジュンの出産は、この連休中になりそうです。
もういつ産まれてもおかしくないそうですが、まだのようです。
昨日、娘たちと食事に行ったのですが、ふたりからお父さんは私たちの出産のときに病院に来たのかと問われました。
行ったことは間違いありませんが、産まれてすぐではなかったような気もします。
節子の日記を見たらわかるのでしょうが、出産も育児も、かなり節子任せだったと思います。
いまから思えば、節子は一人で大変だったでしょう。
娘からは、チャッピー(今は亡き愛犬です)への接し方を見ていれば、お父さんの子育ての姿勢がわかるとさえ言われたことがあります。
つまり、遊び相手ではあっても、真剣に育てようという姿勢が見られないというのです。
そんなことは決してないと弁明したものの、正直、そう言われると自信をなくします。
それに、子どもと「友だちづきあい」などできるはずがないだろうとも言われています。
私の基本姿勢は、子どもも友だちという考えなのです。
しかし、親子の関係は、そんなに「甘く」ないようです。
いまから思えば、身勝手な子育てだったのかもしれませんが、助け船を出してくれるはずの節子がいないいま、弁明の方法がありません。
孤立無援なのです。
困ったものです。
娘を通して、私たちが親としてはやはり身勝手だったことを痛感させられているのですが、節子がいないいま、すべては私が引き受けなくてはいけません。
それはかなりつらいことではあります。
それにしても、娘たちを見ていると、自分のことがよくわかります。
節子はよく私に付き合ってくれたものです。
感謝しなければいけません。
娘たちが付き合ってくれていることにも、ですが。
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