■節子への挽歌3193:幸せと悲しみ
節子
昨夜、夢を見ました。
節子の夢ではありません。
私の両親の夢です。
両親が、私の孫に会いにやってきたのです。
墓前では報告はしていましたが、まさか会いに来るとは思ってもいませんでした。
それで気がついたのですが、節子はまだ会いに来ていませんね。
娘は、節子を見送った後、激しく後悔しました。
孫を見せてやれなかった、と。
妊娠した時、娘が仲良しの友人に話したところ、その友人は「おかあさんがいたらどんなに喜んだろう」と泣いて喜んでくれたそうです。
その話を聞いて、私も涙が出そうになりました。
娘たちが生まれた時の写真を、娘が引っ張り出してきたので、昨日見ました。
孫を抱いている母親がいました。
幸せそうでした。
節子はこの幸せには、出会えませんでした。
孫を産んだ娘は、誕生日前に大病をしました。
医師から見放されて、後は本人の体力の問題ですと言われました。
子どもを授かることは、幸せと同時に、時には悲しみも授かることです。
私たちは、目の前でどんどん衰弱していく娘を見ながら、その時、それを知りました。
私たちの祈りが通じたのか、娘は回復しました。
祈りが奇跡を起こすことも、その時、知りました。
節子を見送った時、奇跡は見事に打ち砕かれました。
人を愛することの幸せと悲しみも、残酷なほどに思い知らされました。
そこで少し私自身が変わったかもしれません。
両親がひ孫に会いに来たのに、節子は会いに来ないと思いましたが、それは間違いでした。
節子の位牌はわが家にあり、その前に何回か孫の顔見世をしました。
節子はもう会っていたのです。
抱けはしませんでしたが。
両親の墓前や位牌には、まだ孫は行っていません。
それで、両親が夢に出てきた理由を納得しました。
両親の夢を見たのは久しぶりです。
そういえば、節子は最近夢に出てきません。
困ったものです。
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