■節子への挽歌3182:久しぶりのおにぎり
この2日間、ちょっと時間に追われてしまい、挽歌を書かずに過ごしてしまいました。
挽歌は朝のルーティンにしようと思いながらも、なかなか定着しません。
今日からまた京都と福井に出かけるので、書けないかもしれないので、新幹線のなかで書いています。
ネットがつながっていないので、いつ投稿できるかわかりませんが。
今朝早く家を出ました。
節子がいた頃と同じで、娘におにぎりをつくってもらいました。
娘のおにぎりは大きいので、小さ目にしてもらいましたが、新幹線でおにぎりを食べるのは久しぶりです。
娘は京都の駅ビルにあるお店を勧めたのですが、私は時間とお金の節約のため、おにぎりを頼んだのです。
ところが、早く目が覚めてしまったので1時間も早く家を出てしまいました。
それで京都に着くのが11時になってしまいました。
それに気づいたのは、新幹線に乗ってからです。
さてどうするか。
京都では会場に行く前に東福寺に寄ろうと思いますが、お寺の庭園でおにぎりを食べてもいいのでしょうか。
そんなことを考えているうちに、若い頃、節子と一緒にお寺回りをしていた頃、いささか不謹慎なことをしていたことを思い出しました。
節子は最初はともかく真面目で融通のつかない人でしたから、仏様の前で手を叩くことさえ注意されました。
今度来た時まであるかどうかと賭けをして、こっそり須弥壇の角にコインを隠したりした程度のことですが、まあちょっとここには書きにくいこともないわけではありません。
当時の節子は、歩きながら物を飲食することには大きな抵抗を持っていました。
八百屋さんでリンゴを買って歩きながらそれを食べたときには、東京の人はそんなことをするのかと驚かれました。
当時は、そんな時代でした。
一緒に暮らしだした頃の私たちはお互いに文化が違いました。
それがとても楽しかったのです。
私は社会から少し脱落した部分があり、常識がかなり欠落していました。
節子も同じようなものでしたが、しつけられた常識には呪縛されていました。
私とは結婚観も全く違いました。
にもかかわらず、結局、私のスタイルについてきてくれました。
常識の呪縛を離れる魅力には勝てなかったのでしょう。
しかし、そのおかげで苦労したはずです。
それもしかし、楽しい苦労だっただろうなといまは思えます。
飛鳥大仏との約束は破ってはいませんし。
すみません。これは節子と私だけが知っていることなのですが。
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