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2016/06/02

■節子への挽歌3196:なにやらワクワクするような感じに包まれています

節子
またいくつかのシンクロニシティが起こりだしています。
それとともに、いろんな電話やメールが入りだしました。
まさに、何かから「誘われている」という感じが押し寄せてきています。
まわりで、たくさんの「新しいこと」が芽吹きだしているのです。

いまはまだ暇で暇でしょうがない状況にいますが、もしかしたら暇でなくなるかもしれません。
そうなれば少しは時間的ゆとりができるようになるかもしれません。
まあ、こういう説明は、多くの人には伝わらないかもしれませんが、物理的な時間に追われている時は、要するに暇だというのが私の考えなのです。
あることに熱中できれば、暇な時間など生まれてきません。
そもそも「時間」という概念さえなくなるのです。
若いころは、そういう状況になれることがありました。
最近はそんな「熱い時間」を過ごせることはありません。

いずれかの「誘い」に乗ったら、暇から解放されるでしょうか。
そうかもしれませんが、いずれの「誘い」にも乗れないかもしれません。
シンクロニシティが起きた時には、飛ばなければいけません。
しかし、どうも飛べないのです。
そしてたぶん何かのチャンスを失ってしまう。
こんな繰り返しをこれまで何回もしています。
なぜ飛べないのか。
飛べないのは、飛ぼうとしないからだけのことです。

まわりでいろんなことが始まると、それだけでなんだか楽しくなって、何もやっていないのに、やっているような気になりがちです。
いま私は、まさにそんな状況にあります。
しかし、こうした状況は間もなく終わるでしょう。
私が飛ばないからです。
私を暇の世界から引き出してくれるような世界は、もうないのかもしれません。

今日だけでも、3つの新しい組織が生まれそうです。
たぶん、生まれることは間違いないでしょう。
しかし、こういろいろあると、私自身は飛ぼうにも飛べないのです。
だから、暇で暇で仕方がない世界で、時間に追われていることになるわけです。

暇を暇でなくしてくれた節子がいないのが、とても寂しいです。
暇だったので、今日もまた、やらなければいけないことができずにいます。
さてどうしたものか。
まあ、どうにかなるでしょう。
暇な時には、切羽詰まらないと、何もやる気は起きません。
困ったものです。

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