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2016/06/23

■節子への挽歌3213:自己紹介と他己紹介

節子
昨日、自己紹介や過去の物語を語ることが組み込まれた会に参加しました。
前にも同じような会に参加したのですが、そこでどうも私は「自己紹介」ができない人間だということに毎回気づかされます。
加えて、自分を語ることがどうもできないのです。
それならそんな会に出なければいいと言われそうですが、その会は私が代表であるストーリーテリング協会の集まりですので、欠席するわけにもいきません。
実に困ったことですが。

そこで参加者みなさんの話を聞いていると、実に見事なのです。
どうして私には、それができないのか。
少し考えて話そうとするのですが、話している途中で、考えていたこととは全く違う話をしたくなってしまいます。
話すことを考えて、話すことができないのです。
とりわけ過去のことが話せない。
記憶があまり残っていないということもありますが、どうもそれだけではなさそうです。
協会の吉本さんに、お手本まで示してもらいながら、練習もさせられましたが、まったく逆効果です。
ともかく自己紹介ができません。

これはいまに始まったことではないのです。
昔から私は自己紹介が苦手です。
自分がわからないからかもしれません。
もっともわからないのは私だけではなく、先日も私を紹介しようとしてくれた友人が、佐藤さんのことは説明できませんが、と紹介していました。
「説明できない人」というのが、私の紹介というのもおかしな花ですが、私も奇妙に納得できました。
私自身も、うまく自分を説明できませんので。

一種の、これも人格障害なのかもしれません。
自分でも自分がわからない。
いやはや困ったものです。

しかし、なぜ人は自己紹介が必要なのか。
昨日は、自己紹介ではなく、他己紹介もありました。
昨日はあまりうまくできませんでしたが、私は他己紹介は嫌いではありません。
まあかなりめちゃくちゃな他己紹介ですが、他己紹介ならできそうです。

しかし、他者に説明できない自己とはいったいなんなのか。
悩ましい課題です。

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