■節子への挽歌3206:湯島は巡礼宿?
節子
今日はたくさんの刺激をもらった1日でした。
まず、40数日をかけて四国を巡礼してきた鈴木さんが湯島に来てくれました。
とても興味あるお話を聴かせてもらいました。
話を聴きながら、四国遍路の世界は、とても幸せな空間なのだなと感じました。
安心してお接待ができると、いわば「残された楽園」なのではないかと思ったのです。
私は、人は基本的に他者を信じ、他者に何かをお接待したいと思っている生き物だと考えていますが(そうでなければ厳しい自然淘汰のなかで残らなかったでしょう)、最近はそれができなくなっている。
しかし、四国お遍路に集まる人たちは、みんな良い人ばかりなので、お接待しても裏切られることなく、いつか恩送りしてきてくれる。
そんな気がしたのです。でも鈴木さんの体験談を聴くと、どうもその「楽園」も10年後には存続が難しいかもしれないような気がしました。
まあ、それは今度の日曜日に、鈴木さんに「巡礼サロン」をしてもらいますので、そこで改めて考えてみようと思います。
続いてきたのは、軍事問題専門家とウォーゲームの専門家です。
私が一度、ウォーゲームを体験したいとお願いしたからです。
今回実物を持参してくれたのは、ボードゲームの朝鮮戦争です。
それで、朝鮮戦争の話になってしまいました。
そしてさらにはフォークランド紛争の話になり、ゲームどころではなくなってしまいました。
それに、そもそも「戦争」の概念が、それぞれに違って考えているようで、おそらく軍事専門家のおふたりにとっては、私の発言はあまりに素人議論に感じられたことでしょう。
途中で少しムッとしているなと感じたのですが、だからといって対応を変えられるほど、私は器用ではありません。
しかし、最後はなんとなく心が通じたようで、なぜか一緒にあるプロジェクトをやるように誘われてしまいました。
断る勇気がなくて、それに興味もあったので、それを受けてしまいました。
最後に来たのは、リンカーンクラブの創設者の武田さんと武田さんの最新の著作の編集者の藤原さんです。
今朝、急に電話がかかってきて、ある相談を受けたのですが、いささか無理難題の相談です。
しかし、まあ無理難題というのは魅力的ですし、何よりも予算がないと言われると断れなくなるのです。
それで結局、頭を使っておふたりの要望にも対応することにしました。
たぶん、この3つの話の順序が違っていたら、後のふたつは断っていたでしょう。
疲れ切っていた昨日では考えられないことですが、私の意には必ずしもそぐわない2つのプロジェクトに関わることになってしまいました。
鈴木さんは、昨年のサンチャゴ巡礼のときにフランス人から受けた親切を、今回の四国お遍路で偶然出会ったフランスからの巡礼者に「恩送り」できたという話をしてくれました。
「恩送り」は、人生を豊かにしてくれるマジックワードです。
そういう気がしていたので、今日は、2つの約束をしてしまったのです。
そこに困っている人がいたら、手を貸さなければいけません。
それこそが、人本来に生き方なのですから。
そして、それこそが、豊かな生き方なのです。
そう言う豊かな恩送り人生が、わずかとはいえ、できることの幸せを感じました。
鈴木さんが行ってくれました。
湯島のこの部屋は「巡礼宿」なのかもしれませんね、と。
そう言われると、そんな気がしてきます。
湯島に来る人たちはみんな良い人ばかりで、そこにいる私は、素直にゆるく生きていても、許されるのです。
私は四国に出かけなくても、毎日がお遍路人生なのかもしれません。
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