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2016/06/13

■法隆寺と下鴨神社に行って感じたこと

一昨日、奈良の法隆寺と京都の下鴨神社に行きました。
ある研修プログラムの一環で、20人ほどのグループだったのですが、それぞれ僧侶と宮司の方にご案内してもらいました。
とてもわかりやすく時間をかけて説明してくれましたが、それを聴いていて、このままだと寺社や寺院もまた「経済機関」になっていくのではないかといささか心配になりました。
説明してくださったおふたりの問題ではなく、そこから感じられる、その背景への思いからです。

たとえば、法隆寺では「世界遺産」になった時につくった石碑の前で、世界遺産になった経緯をお聞きしました。
下鴨神社では、財政的に維持が大変で、所有地にマンションを建設する背景を説明してくれました。
糺の森の木の落葉への周辺住民の苦情の話もありました。
いずれも捉え方によれば、仏教や神道の本質にも触れられる話だろうと思います。
しかしそこで語られていたのは、社会受けするような話でした。
笑いを取るような話には、私自身はちょっと疲れました。

法隆寺が世界遺産になるのは悪いことではないでしょう。
しかし私にはまったく興味がないことです。
世界遺産になったから人が増えるなどという風潮こそ、嘆きはしても、いいことだとは思えません。
それに世界遺産になって喜ぶという心境がわからない。
下鴨神社は、訪問した日はたまたま蛍の茶会があったためにぎわっていましたが、世界遺産になったのに平日は人が来ないとも説明されました。
観光客に来てほしいのですかと突っ込みたかったのですが、やめました。

私自身も観光で行ったのではないかといわれそうですが、実はまさか「観光」プログラムだったとは知らなかったのです。
もしそうであれば、参加はしませんでした。
しかし研修プログラムの一環だと言うので、法隆寺では西堂の三経堂あたりで法相宗のお話を聴けるのかと思っていました。
下鴨神社では、糺の森の神気に触れさせてもらえるかと思っていました。
そうではなく、僧侶も宮司も、たぶん観光ボランティアの方ほどにも、仏教や神道の心は語ってくれませんでした。

いまの時代、寺社の役割はとても大きいと思っていますが、肝心の自社の関係者はそう思っていないのでしょうか。
最近、京都や奈良の寺社を訪問すると、大工事が流行っている気がします。
それは悪いことではありませんが、もう少しやり方があるだろうと私はいつも不快に感じています。
そこにも、仏や神への信仰心が感じられないからです。
暑い日差しの中を長時間、説明を聞かされた腹いせになってしまっているかもしれません。
しかし、説明などしなくても、そこにいるだけで心が揺さぶられるのが、神社や寺院ではないかと思っている私には、いささか苦痛の見学でした。
でも法隆寺では、流れを外れて、坊守の方とお話させてもらったりしたので、ちょっとだけいい時間も過ごさせてもらいましたが。


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