■節子への挽歌3201:穴のあいた背広
節子
出かける時はそうでもなかったのですが、夏のように暑くなってきました。
今日はめずらしく背広を着て湯島に来ました。
最近は背広を着るのは月に1回程度です。
節子がいなくなってから、背広はつくっていませんので、もう10年以上前のものしかありません。
今日、しばらく着ていなかった背広を着ようと思ったら、虫に食べられた穴が背中に開いていました。
手入れなどしておらず、着たものはクリーニングに出してもらっていますが、着ないものはまあいいかと放ってあるのです。
でもまあ小さな穴だから誰も気づかないでしょう。
着替えるのが面倒なので、そのままそれで着て、出てきてしまいました。
今日はビジネススクールで話をすることになっていますが、後ろを見せないようにしなければいけません。
しかし、話しながら教室を歩いてしまうかもしれないので、要注意です。
虫に食われた背広を着ている講師の話は、説得力がないでしょうね。
さて、どうなるか。
妻がいなくなると、身の回りの世話をしてくれる人がいなくなるので、身なりが一変する人がいますが、幸か不幸か、私はたぶんそう大きくは変わっていないでしょう。
それは節子も、そうしたことに比較的無頓着だったからです。
しかし、そうはいっても、私自身は気づいていないところで、みっともない状況になっている可能性はかなりあります。
なぜなら誰も注意してくれないからです。
娘が時々、手厳しく注意することもありますが、たぶん諦めているでしょう。
服装には全くと言っていいほど興味がないのです。
とはいうものの、こだわっていることはあります。
自分が着る服に、ブランドマークや文字が入っているのは、だめなのです。
自分の身体を広告媒体にすることは、生理的に受け付けないのです。
シャツを買う時も、マークが入っているとだめなのです。
だから私が着るカジュアルウァアを見つけるのは、それなりに難しくて、節子は苦労していました。
そんなわけで、私の着る衣服は、いま払底していて、今日は何を着ればいいか困ることが多いのです。
ですから、いつも同じようなTシャツばかり着ているのです。
年齢のことも考えて、それなりにきちんとした服を着るようにといっていた節子も娘も、結局はあきらめました。
たぶん死ぬまで、良いものを着ることなく、終わりそうです。
さて、そろそろ出かけましょう。
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