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2016/06/28

■節子への挽歌3216:自分軸としての挽歌

節子
またしばらく挽歌を書けませんでした。
いろんなことに関わりすぎてしまったせいですが、関わることが毎日のように増えています。
25年前を思い出します。
会社を辞めて、何にでも自由に取り組めると思った途端に、多彩な世界が実に面白く現出したのです。
少しですが、あの頃のように世界が見えています。

もっとも当時の世界には輝きがありましたが、いまはそれはほぼ皆無で、問題だけが見えてきています。
私の年齢の問題だけではなさそうです。
あの頃はまだ世界に期待することがたくさんありました。
いまはほとんどそれらは消えかかってしまっています。
ともかく「人」がいなくなってしまった気がするのです。
退屈な時代になってしまった。
私には、暇で暇で仕方がない時代でもあります。

しかし、最近ちょっと違う世界に触れだしました。
先日は見事な若者にも会いました。
北陸からわざわざ合いに来てくれた若者もいました。
やはりまだ隠棲するわけには行きません。
また大失策をしてしまうかもしれませんが、今度はきちんと自分軸を外さないようにしようと思います。
そんなわけで、いま取り組みだしているいくつかの組織の立ち上げにきちんと取り組む気になってきています。
とりあえずは5つの組織です。
いずれも自分でゼロから立ち上げたものではありません。
誰かが相談に来て始まったものばかりです。
ですから私が主役ではないのですが、端役でもないのです。
さらに、5つのほかにもさらに5つ近い組織づくりの話もあります。
不思議なもので、5つと決めて動き出したら、その予備軍のような話が次々と舞い込むのです。

そんなわけで、挽歌を書かずに数日過ごしてしまいました。
明日からまた挽歌を復活させます。
組織の立ち上げにも、きちんと立ち向かうつもりですので、そのためにもやはり挽歌を書くことで自分軸を持てるでしょうから。

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