■争点が憲法であるという罠
参議院選挙が始まりました。
争点はなんなのか。
憲法改正は争点なのか、などと議論されています。
しかし、「憲法改正」は争点になり得ません。
それを争点にしようとしている人がいたら、とんでもない無知な人か詐欺師だろうと、私は思っています。
憲法は手段です。
決して目的ではない。
とすれば、憲法改正は、正反対の内容を意味する言葉になります。
戦争ができる国にするのも憲法改正であれば、戦争ができない国にするのも、憲法改正です。
それを曖昧にしたまま、改憲だ護憲だというのは、問題を見えなくするだけの話です。
争点とは、白か黒かがはっきりしたものでなければいけません。
争点にするのであれば、憲法ではなく、戦争をする国にするかどうかの選択でなければいけません。
だれにもわかる生活用語で語ってこそ、争点は争点になり得ます。
問題の立て方を学ぶことの少ない日本人は、「問題」とは何かがほとんどわかっていません。
だから「憲法改正」が争点だなどと言ってしまうわけです。
同じように、「経済成長」も手段であって目的ではありません。
しかし、残念ながら日本では、「経済成長」が目的だと思っている人が多いようです。
かつての民主党がその先鞭をつけたと思いますが、いまは自民党も新自由主義発想ですから、経済成長を目的化しています。
しかし、経済成長は、格差を増幅させることもあれば、格差を縮小させることも(極めて例外的ではありますが)あり得ます。
安倍首相は、次第に成長の果実が経済的な下層にも回ってくると言いますが、そんなことはありません。
なぜならいまの経済は、下層から少しずつ吸い上げて、その一部を下層に還元するという、ロングテール収奪型の逆トリクルダウン構造になっているからです。
それはともかく、経済成長は生活向上にもつながれば、生活の貧困化にもつながります。
安倍首相は、この数年の経済成長が成果を上げてきたと言いますが、間違いなく成果は上がっています。
金持ちがさらに金持ちになったという意味での成果なのです。
しかし経済的に下層にいる人たちは、むしろ貧困化が進みましたから、成果があったなどとは言わないでしょう。
経済成長は、置かれた立場によって、成果は正反対になるのです。
ここでも、もし争点があるとすれば、「格差縮小」とか「格差拡大」と言うことでなければいけません。
あるいは、企業のための経済成長か生活者のための経済成長か、でなければ意味が分かりません。
私は、今回の選挙の争点は明確だと思います。
独裁政治を許すのか、民主政治を目指すのかです。
その大きな岐路に、私たちはいます。
それを覆い隠すように、絹布プレカリテ改正や経済成長が争点として叫ばれています。
争点は、もっともっと大きなことなのではないかと思います。
だとしたら、誰に投票するかは明確です。
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